髙安学担/髙安学生会

「ほっと一息」

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ちょうどよい
 お前はお前でちょうどよい
 顔も体も名前も性も、
 お前はそれで丁度よい。
 貧も食も親も子も
 息子の嫁もその孫も、
 それはお前に丁度よい。
 幸も不幸も喜びも、
 悲しみさえも丁度よい。
 歩いたお前の人生は
 悪くもなければ良くもない。
 お前にとって丁度よい。
  これは、私の好きな良寛(りょうかん)という江戸時代後期の僧侶で歌人の言葉です。
一人ひとりに合わせて、必要なだけをお与え下さっている親神様のご守護をいわれているように思います。
 今の自分をとりまく環境や身近な人たちは、全て自分の成長や幸せに繋がっているのではないでしょうか。 
 起こる出来事、出逢う人々、その時々の"ちょういどよい"の意味合いを、逃さず味わっていきたいものですね。
                     2022/7/1      S.S

 先日、妻とDisney映画『魔法にかけられて』という映画を見ました。
この映画は、歌あり、ダンスあり、恋あり、見てるだけでロマンチックでハッピーな気分になれる作品です。 
 あらすじとしては伝統的なアニメーションで描かれる魔法の世界のプリンセスが現代のニューヨークに迷い込んでしまう物語になっています。
このプリンセスは、とても心優しい人格の持ち主であり、友達は森のシマリスなどの小動物や小鳥たちですから、特に動物たちに対する理解は深いのです。
また、動物に優しいだけではありません。誰にでも優しいのです。人間の社会では嫌われている虫やねずみにもジゼルは優しく接します。 そして困ってる人になんの惜しげもなくお金を渡したりします。途中、困難に直面しながらも持ち前の優しさと勇気で運命の人と出逢いハッピーエンドを迎えるという映画でした。
 私自身、人に優しく接するのは大切な事だとは常々感じてはいますが、この映画を見て、改めて人に優しく通らせてもらう中で、それが知らず識らずのうちに自分にも返ってくるということを感じました。
 映画やドラマ、テレビを見てる時に、出演者の心に立ち見てみると、いつもとは違った感じ方や学びが転がっているかもしれませんね。
 たまには好きな映画でも見て、心をリフレッシュして明日もまた頑張りましょう!

                 2022/6/22        S.S

 私の家には、半年ほど前から一緒に生活している姉妹の里子がいます。
 中学生と幼稚園児の2人です。教会に住んでいる私たちとは育ってきた環境が違い、感じてきたこと、考えてきたことも違うので、こちらが想像もしなかったようなことが起こることが日常茶飯です。
 そんな中、教会長である私の父は毎日朝夕のおつとめ後に教会の前で路傍公演をしているのですが、ある父が御用で帰ってくるのが遅い日の夕づめ後に里子の姉妹2人が、「代わりに路傍公演する!」と言って、父がいつも使っている"陽気ぐらしの天理教"と書かれた旗を持って教会の前に立っていました。まだ教会に来て半年も経っていない頃ですし、天理教のことも話できる程何かを知っているわけではなかったので、何をするんやろと見ていたら、教会の前を通る人達に2人で「こんばんは!」と挨拶をしていました。
 天理教の中で長い間生活している私たちは路傍公演と聞くと、「何か神様のお話をしなければいけない」と思ったり「神様のお話をするのに抵抗があるなあ」と思う方もおられるかもしれません。ですが、この姉妹のように何かよくわかっていなくても、教会の前であいさつをするだけでも、神様は喜んでくださるのではないかなと思います。
 また、中学生の里子の子は、よく「世の中の人みんなが天理教やったら絶対に平和になるのに」とよく言っています。まったく天理教を知らなかった子が教会で生活するようになり、教えに触れて、たくさんの人と関わる中でそう感じることができる、このお道は本当に素晴らしいものだと思います。
 そんな中で生活させて頂けることに感謝して、2人のように"自分にできるおたすけ"を実践させて頂きたいと思います。
                2022/6/8        K.N

 はいにこぽん
「はいにこぽん」という言葉を知っていますか?
「はい」素直に返事
「にこ」にこっと笑顔で
「ぽん」さっと行動する
 私は学生時代、ある先生のお話で初めて知り、心に深く残りました。
ついつい自分の身近な人になると言い返してしまったり、なんてことありませんか?
私はありました、今でもたまにしてしまい、「言ってしまった💦」と反省することもあります。
 自分が言い返されると、良い気持ちにはならないですよね。やっぱり素直に、「はい」っと「にこ」っとして言ってもらって、「ぽん」と行動してもらえる方が嬉しいなと私は思います。
今はコロナ禍でマスクをつけていることがほとんどで表情が読み取りにくいです。
 こんな時だからこそ、「はいにこぽん」をより意識して過ごしていきたいなと思います。
             2022/6/1        M.T

 我が教会の少年会隊長をしている中1の男の子のお話です。
 この子とは生後4ヶ月の赤ちゃんの頃からの付き合いです。成長してくると発達障害があることが分かり療育手帳を取得し、小学校は特別支援級に入りました。
 2年生でうちに来てからは学校を休ませることはできるだけさせずに、家庭での学習にも取り組むことを継続して行ってきました。学校の担任の先生とも協力して、この子の成長に一番必要なことを考えて育成してきました。
 そうしているうちに5年生頃から学校でプログラミングの学習が始まりました。このプログラミングとの出会いが彼の生活を一変させてくれました。今までは問題を起こして学校から連絡が来ることが殆どでしたが、プログラミングがとても得意で校長先生や教頭先生が駆け寄ってきて絶賛してくれるようになりました。そしてJrプログラミング検定に合格するという快挙をやってのけ、そのことが地元の新聞にも大きく取り上げられました。
 彼にとっても大きな自信に繋がったようで、中学校での生活も落ち着いて過ごしています。部活はもちろんパソコン部!以前に比べ自分から積極的にチャレンジすることが多くなって来たようにも思います。
 誰でも必ず何か得意なことがあると思います。それは思わぬ時に見つかるもの出会えるものです。一日一日を丁寧に大切に過ごしていくことで、光り輝く自分だけの宝物に少しでも早く出会えるかも知れませんね!
                  2022/5/8        M.O

 「無理ゲー」
 私は子どものころ「ファミコン」を買ってもらえませんでした。教会の方はこういった経験ありますよね。ですので、私はよく友人の家に行って一緒に遊ばせてもらいました。持ち主は上手に操作しますが、私は慣れていないソフトなのですぐ死んでしまいます。例えば、さらわれたプリンセスを助け出すゲーム『魔界村』。強い敵が次から次へと出てきて、主人公が敵に当たると鎧が脱げて裸になってすぐ死んでしまいます。
 近年「無理ゲー」という言葉がSNSなどで使われることがあるようです。
 例文は……
 「話題のゲームを購入したけれど、無理ゲー過ぎて諦めた」
 「人前で話すのが苦手なのに、結婚式でスピーチをするなんて無理ゲーだ」
 「大した経験もないのに、大きなプロジェクトの仕事を任せるなんて無理ゲーだよ」
 などの使われ方をするそうです。
 「無理ゲー」はゲームの難易度が高いことや、クリアするのが困難なゲームのことを指しますが、意味が転じて、状況的・物理的・環境的に実現不可能だったり、達成が困難だったりするときにも「無理ゲー」が使われることがあるようです。
 この言葉が流行するというのは、社会を攻略困難なゲームに例えることで、先行きが不安な人や生きづらさを感じている人たちの共感を招いたと考えられます。
 思えば私たちは生きていると「こりゃ無理ゲーだ」と不安を感じる場面はよくあるかもしれません。そんなときは八方ふさがりで目の前が暗くなり自分ではどうすることもできない状況なのだと思います。
 あなたの周りに「この世は無理ゲーだ」と感じて行き詰まってそうな方はいませんか? もしおられたら「大変な中、よく頑張っていますね」「お一人でよく頑張ってこられましたね」「そんなにうまくいかなかったらイライラするのも無理ないですね」などの温かい言葉をかけて寄り添ってみてはいかがでしょうか。
 この世界は神様が望む陽気ぐらしへと向かう物語の設定がある「神ゲー」の世界だということを、いつかお互い分かるように助け合って優しい心で進んでいきましょう。
                 2022/5/1 Y・М

 新年度を迎え新しい環境の中での生活が始まりました。
 入学、進学、就職など新しい環境にやる気がわいたり、逆に不安になったり、心も体も少し忙しい時期になってきたと思います。
 この時期にあるのが、「はじめまして」という場面ではないでしょうか。
 先輩、友だち、後輩に、やっぱりいい印象を持たれたい、早く打ち解けたい、と考えている人は多いのではないでしょうか。私もその1人です。しかし、そんな気持ちが先走りすぎることも大いにあると思います。
 私の失敗談ですが、学生時代に明るく積極的に、誰にでも声をかけてコミュニケーションを取っていましたが、ある時、自分の事ばかりを話しすぎていることに気がついたのです。相手にいつも自分の話を聞かせてしまっていて、自分は相手の話を聞いていなかった。つまり1人でずっと喋っているような状態になってしまっているということに気付きました。相手の人たちはいつも相づちを打って、しっかり私の話に耳を傾けてくれているけれど、私は逆にこの人たちの何を知れたのかと問うと…。
 心理学的に、自分の話ばかりしてしまう人は「相手に理解されたい」「自分の事を認めてほしい」という承認心理が強く働いているそうです。まさにその時の私そのものです。そして、そのようなタイプの人には、相づちを打って、相手を理解していることをしっかり伝えると安心できるようです。こちらも、まさにその時の私の周りの人たちの対応そのものです。
 そんなことがあって、私は相手の話に耳を傾けよう、と肝に銘じるわけです。
相手の話を聞くということは、自分の話を聞いてもらう以上に自分を信頼してもらうことになると気づいたのです。
 相手の話を聞く大切さを実感してみてはいかがでしょうか。
                  2022/04/22  M.M

 コロナ禍にあってそれまでの生活と大きく変わり、色んな行事が制限されています。お道の行事も同様で、中止になったりする行事も多くありましたが、最近、少しずつ形を変えたり予防を徹底したりしながら動き出しているように思います。
 昨年は学生生徒修養会も中止になったりしましたが、今年は3月に大学の部が開催されました。聞かせて頂くと、今までよりも参加人数が大勢あったということです。コロナ禍で何もできないような印象を受けますが、自分自身の心がそうさせているだけでどの時代にあっても私たちは教祖のひながたを辿らせて頂くという事に変わりはないのではないでしょうか。そう思うと、ただただ親の声に素直に働かせて頂けばいいのではないかと思うのです。
教祖お入り込み140周年の旬に、素直に通らせて頂き、ご安心頂きたいと思います。
           2022/4/15       Y.F

 今、親里では桜を始めとする春のお花が咲き誇りおぢばに帰ってくる私たちを癒し楽しませてくれます。花々のお世話をして下さる人達に心から感謝しかありません。そして何より感謝したい大切なことは、やはり親神様のお働きです。 
 親神様はご自身のお働きについて端的に「火、水、風 」 と教えて下さいます。「火」と「水」温みと水気の調和のおかげで私たちは生きていく事ができます。「風」は大気や空気の事ですが、これは目に見えないのでその存在に気づきにくいですが、咲き誇る花々、植物 たちは二酸化炭素を吸って酸素を出してくれています。そして私たちはそれを頂き生かせてもらっています。大 気というものがなければ地球上の生命は存在できません。 
 こんなご守護を考えると当たり前の毎日が素晴らしい現象の連続だということが分かります。そして毎日感謝することかできそうです。いつもそんな風に感じる事は出来なくても、花や緑を見た時、思い出せる自分で居たいしそんな話を近しい人へ話せるようになりたいです。
                 2022/4/8        M.T

 先日ご本部で春の学生おぢばがえりが開催されました。式典に参加させていただきながら、自分が春学に参加していた時のことを思い返していました。
 私は、教区の学生会の行事に参加して、それから先輩の学生に事あるごとに声をかけてもらい行事に参加するうちに、今度はスタッフとして参加しませんかと誘ってもらい、そのお手伝いをさせていただくようになりました。自分は何も分からず先輩方にただついて行くだけでしたが、参加する側から受け入れる側になって今までとはいろんなことが変わりました。
 行事の準備も大変でしたし、自分は人と話すのが苦手でしたので、参加してくれた人たちに笑顔で話しかけることなど、本当に苦労したのを覚えています。先輩や仲間と同じようにできないことも多く、自分にはむいてないのかも?と思うこともよくありましたが、
自分なりに必死でついていっていたように思います。そんな中で今思うと気づくことがあります。
 それは、受け入れる側になって与えていただく喜びが大きくなったことです。行事の準備や教会を訪ねてお願いに行ったりする中で周りの人たちともっと仲良くなれて、自分の居場所ができて、何より活動に参加することが楽しくなりました。これは、参加してくれる人たちのために、仲間といろいろ考えてたすけ合いながら頑張ったからこそ与えていただいた喜びだと思います。
 今の学生会は、
 「生かされていることに感謝しよう」
 「お道の素晴らしさを伝えよう」
 「進んで教会につながろう」
という成人目標を掲げて頑張っています。本当に素晴らしいと思います。
 親神様が人間世界を創られた理由や人間に望まれる思い、「人間が陽気ぐらしをするのを見て神もともに楽しみたい」「困っている人、苦しんでいる人をたすけたい」そのために学生として何をすればいいのか?何ができるのか?
 この成人目標を胸に、頑張って行く中で人と出会い、参加する側から受け入れる側へと。そして仲間といろいろ考えながら、力を合わせて歩みを進めること。それを一生懸命頑張って行くことで自然と次代を担うよふぼくへとお導きいただくことができるのでないかと思います。
 そのためには、まず自分から新しい一歩を踏み出すこと。きっと今までと違う姿が見えてくると思います。
                  2022/4/1      K.Y

 庭の梅の花がだんだんと咲き始めて、春の訪れがやってきました。この時期は何かとウキウキして、どこか心が躍る楽しげな季節であります。しかしながら、今年も長引くコロナ禍の影響で心の底から楽しさや喜べずに、何かしら閉塞感が片隅に残ります。
 また、私自身もそうなんですが、花粉症がキツくてダブルパンチで憂鬱になります。
現在、26日の本部の月次祭は人数制限の中、登殿参拝ができます。ある方は、「コロナ禍のおかげで結界の近くで参拝でき、かぐらづとめを間近に見ることができた」と嬉しそうに話してくださいました。普通ならだいぶ朝早くに神殿に行かないとなかなか間近で見ることがでかませんから、人数制限のあったおかげで時間も気にせずにいけて本当に良かった、と言ってました。
 また、3回目のワクチン接種で、副反応が出て花粉症が治ったという方がいると聞きました。長年花粉症に悩まされていて、こんな風に治ることもあるんだとビックリしてとても喜んでいたそうです。
 うらやましくて私もそうなって欲しいと思ったのと同時に、コロナ禍でも何かしら、喜び事を与えてくれるし、こんな時だからこそ喜びやありがたいことを見つけて過ごすことが大切だと感じました。
 もう少ししたら春学が始まります、準備などに追われて大変だと思いますが、毎日の生活の中で一つでも喜べることを見つけて、当日は大きな喜びを参加していただきたいと思います。
                2022/3/22       Y.K

 今年も早三月になり時間が経つのは早いなと感じる今日この頃。
 日々生活していると色んな人と接しますが、自分の都合の良い人ばかりではなくて、時には理不尽なことを言われたりすることもあります。そんなとき、「なんでやねん!」と思うこともありますが、逆に自分にもそういう内面があって、それをその人を通して見せてくれてるのかなとも思ったりします。
よく「この世は鏡」ともお聞かせいただきますが、それを心におきながら通らせて頂いています(実際は中々難しいですが)。

 そんな中自分がいかに陽気暮らしできるかを模索しながら歩んでます(笑)自分が陽気暮らししてないと、にをいがけは出来ないですからね~
 今日も勇んで頑張っていきましょう!
                                   2022/3/8             K.I

 先月2月の御本部の月次祭に参拝させていただきました。ちょうどこの日は、陰暦正月26日に当たり、意義深い日だと聞かせていただきました。命の切り替えをさせていただく大切なおつとめを参拝させていただき、喜びも大きく、ありがたかったです。
 と言うのは、我が教会の2月の月次祭はコロナ感染により、会長と2人だけでつとめさせていただきましたので、御本部の月次祭に、制限された人数ではありますが参拝させていただき、勇ませていただきました。
 祭典講話で、教祖の50年のひながたの中で、教祖はいつも明るく勇んでおられ、おおらかで温かくまた、どんな人にも隔てない心で挨拶をされていたと、改めて聞かせていただき、少しでも教祖のお心に近づけるように通らせていただきたいと思いました。
                2022/3/1       M.T

 『チャミチョピー』とは小さな子供達が大好物であり、捕まえるとくすぐりをしてくる想像上の怪物です。なんだそれはと思う方しかいないと思います(笑)実はこれは私が子供の頃に父親にしてもらっていた遊びであります。父が四つん這いなり『チャミチョピー』になりきり、私や兄弟たちを追いかけて捕まえてはくすぐる。ただそれだけの遊びなのですが、これが子供の頃の私たち兄弟には本当に楽しく、また恐ろしいものでありました。
 時は過ぎて私は親になり、ありがたいことに子供を授かりました。ある日、子供と一緒に遊んでいると、それを見ていた私の母親から、
 「あんたの遊び方、ほんとお父さんと一緒ね」
と言われた事に自分自身が驚きました。ああそうか、私は無意識で父親が私にしてくれた事を子供達にしているのかと気がついたのです。
 親が子供にしてきた事は必ず子供受け継いでいくものかもしれないと思いました。
 私たちは日常知らず知らずの内に、良い事も悪い事も子供達に見られています。人間ですので、気分や体調で怒ったりする事も多々ある事でしょう。ですが、いつもいつでも親の行動は子供が真似をするのだという事を忘れてはならないという事が肝心であると思うのです。自分の態度や言葉が子供にうつり、それが子々孫々続いていってしまう事もあり得るのではないかと思うとゾッとしますね。一人一人がどんな時でも明るい楽しい陽気な親でありたいなと努力をしていく事で子供達、孫達も陽気な人生を送れるのではないでしょうか。私の子供達がいつか『チャミチョピー』を受け継いでくれる事を願っています。
                  2022/2/22      T.A

 只今は、コロナ感染拡大の真っ只中でありますが、元気につとめさせて頂いています。私自身はコロナが始まってから、様々な身上、事情を見せて頂き、仕込んで頂いていることを実感しながら勇んでつとめさせていただいています。又、少しずつではありますが地域の方々と交流できる機会が増えてきているように感じています。今はとにかくふせこみの時期と思い、しっかりと土地所に真実の種まきをさせて頂きたいと思います。ありがとうございました。
              2022/2/15      M.N

 新しい年になり日々、親神様、教祖の見守られながら御守護を頂き健康に過ごさせて頂いております。
 さて早くも今年も一月以上が経ち、昨年から考えますと今年は活動の面でもより一層動き出していかなければならないところではあります。
 身の回りから始め多くのところで、それぞれの持ち場立場で助け一条の道に精進させて頂けるよう努力していきたいものと考えます。
 本年の教会活動、ようぼく信者が集まるところでは親神様の想いに今まで以上に一人でも多くの方に陽気ぐらしへと親神様に導いて頂けるようしなければならないところではあります。
しかしながら、いざ始めようと思うと気持ちは焦るばかりになってしまいがちになるので、まずは日々の朝夕のおつとめを通して感謝し、一歩ずつその日、そして次の日と活動を繋げていけるようしていきたいと考えます。
                   2022/2/8     M.M

 先日息子を連れてにをいがけに出させてもらった時、帰り際に「疲れた〜!こんなんやったら徒歩団参の方が楽やったわ〜!」って言ってきました。決してそんな長時間歩いてたわけではなかったんですがそんな事を言い出しました。そしてしばらくすると「なんで徒歩団参の方が楽やったか分かったわ!」と嬉しそうに言ってきました。「なんでなん?」と聞き返すと、「徒歩団参は楽しんで歩いてたからや!楽しんでしてたら疲れへんねんわ!」と話してくれました。
 日々、しんどいな〜と思いながら通ってるわけではありませんが、日々どれだけ楽しんで通らせてもらえてたかな〜と考えさせられました。楽しんで通らせてもらう中に喜びもたくさん見せて頂けると思います。
 教祖お入り込み140周年の年、この道を精一杯、楽しんで通らせて頂きたいと思います。
               2022/2/1      T.H

「凭れる」って難しい...って話
 時は幕末、安政の大地震といわれる地震が各地で頻発し、異常気象で各地では飢饉が起こり、更にはコレラが流行するなど、大変混迷した社会状況の中、教祖は初産をひかえた三女おはる様に初めておびや許しを与えられました。
 当時、現在とは次元の違うほど生死をかけた大役であったお産ですが、おはる様の安産の様子を目の当たりにした村人の清水ゆきさんは、自分が懐妊した際に、おびや許しを願い出られました。
 しかし、「人間思案は一切要らぬ。親神様に凭れ安心して産ませていただくよう」との教祖のお言葉に、十分凭れきれず、毒忌みなどの昔からの習慣に従うと、ゆきさんは産後の熱で伏せってしまいました。この時、教祖は「疑いの心があったからや」と仰せになっています。
 考えてみますと、今も昔も出産は人生の一大事であり、単に妊婦自身のみならず、家族全体にも関わることで、例え、ゆきさんが忠実に教祖の仰せに従おうとしても、家族は安産を願い、昔からの習慣も勧め、それを断れないこともあったのかもしれません。
 もしそうだとすると、そこに信仰の道をまっすぐ歩むことの難しさを感じます。信仰者の中には、信仰に対して家族の理解や後押しがない場合も少なくありません。
 このことはおびや許しに限らず、神様を信じて凭れるという、あるべき信仰姿勢について考えさせられます。
 口で言うのは簡単だけど、「凭れる」って案外難しい...
                  2022/1/22   M.S

「加工品と原材料」
 現代に生きる私達の身の回りには、便利な加工品であふれています。食品、電化・工業製品、おもちゃに至るまで、もはや完成品から原材料を想像することも難しいものばかりです。
 便利さを追求して、それらのものは進化し、暮らしを豊かにしてくれましたが、あまりに技術が高度になった為か、
「どういうもので出来ているのか」「どういう仕組みで動いているのか」などを考えることも随分と減ってきているように感じます。
 少し前には、最近の子供は、鮭は切り身で泳いでいると思っているとか、魚はお刺身、お肉は焼肉やハンバーグの形、野菜も調理済みの状態でしか見たことがない等がニュースで話題となり、「食育」が盛んに叫ばれるようになりました。
「砂糖不使用なのにどうしてこんなに甘いのか?」
「カロリー半分なのにおいしさそのままなのはなぜ?」
「具材たっぷりなのに、どうしてこんなに値段が安いの?」
「なぜこんなに長期間保存が可能なの?(賞味期限が長いの?)」
 学生の皆さんは、こういった疑問を持った経験がおありでしょうか。ほとんどの場合、商品には答えが書いてありません。
 それでは、答えは自分で調べることになりますが、現代は情報過多社会。ネット上には真偽の不確かな情報が入り乱れています。これら有象無象の情報も、ある意味では『加工品』。『加工された情報』と言えるでしょう。
 内容の真偽を判別するために、参考になるのは何でしょうか?記事の閲覧数?記事の投稿数?文章量?フォロワー数?「いいね!」数?他所からの引用?グーグル先生がおすすめしたから?
 加工品(情報記事)だけを見ていても真偽を判断することは難しいです。確認すべきなのは「誰が」書いたか。ちゃんとした知識がある方が書いた記事かどうか。また、きちんとした根拠があるかどうかです。ですが、虚偽の記事のほとんどが、「それっぽい」人物が「もっともらしい」根拠を示して「正しいような」内容であるように見えるから厄介です。
 真偽を正しく判別するためには、自分に知識をつける必要があります。『加工品』に使われている『原材料』の知識です。原材料について幅広い知識を持つと、上記のような「なぜ?」に気付くことができますし、「それらしい」説明に惑わされません。
 情報の『原材料』は、専門知識ということではなく、もっと簡単な「世の中の当たり前の知識」ということです。そう、学生時代に学ぶ『基礎知識』そのものです。基礎を学ぶことは、あまり楽しいことではありませんが、世の中に対する理解を深め、『考えの原料』をたくさん蓄えていただきたいと願います。
                2022/1/15 K.M

 明けましておめでとうございます✨
本年もよろしくお願い申し上げます!
 神様は私達の人生に必要なものはすでに与えて下さっているという話を聞かせて頂いたことがあります。手先が器用だったり、人と接するのが好きだったり、、、そうした自分の中にあるものだけで幸せになれるようになっています。
 ですが、幸せじゃないと思っている人ほど、
「不器用だ」
「人と接するのが苦手」
 それを、自分が劣っているからだと考えてしまっています。ですが、私達にできないことは、いらないものなのです。
 あなたの人生にとってはいらないもの、周りの人に補ってもらえばいい部分なだけで、あなたの人生にとって必要なものは、元からちゃんと備わっています!そうした目で自分を眺めてみてください✨できないことを嘆くよりも、できることを活かして日々通らせて頂きたいものです。それに気付けたとき、幸せの道が開けます!
 今年も皆さんにたくさんの気付きがありますように✨
            2022/1/8  T.N

 昔から携帯電話に興味があった。私が持ち始めたころはまだ電話しかできない携帯電話。その携帯にメールが送れるショートメールが現れ、その後にiモードという携帯電話専用のインターネットが伸び広がっていくようになる。
 今では何それ?って話になるが、当時、何和音の音が出るとか、着メロ、着うた、カメラ付き携帯など、ちょっとした機能の差がかっこ良いとされ、世界のグローバルな携帯とは違う進化をしていった。
 今ではこの携帯のことを「ケータイ」と書き、またガラケーと呼ぶ。ガラケーは、ガラパゴス携帯の略。グローバルな携帯に対し、ある特定の地域だけで進化した携帯ということでこう呼ばれるようになった。
 現在、お道では外向きなおたすけ、社会的なニーズに応えようということを叫ぶようになった。本来、お道は外向きのおたすけをし続けて伸びてきた教えであった。社会的なニーズに応えておたすけをし、人々の心身を癒やし、たすけ、陽気ぐらしへと導いてきた。
ところがいつからか気づけば内向きなほうへ目が向き、その活動に終止するようになってきてしまっていた。
 ここまでの歩みが、独自の進化になっていたのかどうかは分からないが、小さな枠の中で見ることが多くなってきてしまっていたのは事実であろう。
 すぐ近くには大海があり、その先には世界があるのに、そこを見て漕ぎ出すことに逡巡してしまっていた。学生という時代、この時代は未来を大きく見る。自分の未来はこれからどうにでもなっていく時代だ。このどうにでもなる学生時代、お道に役立つ人間、ようぼくに育とうとすることはもちろんだが、お道の心を持ち、社会を見て陽気ぐらしに向かって動く人間に育とうとすることはもっと大切なことのように思う。
 今、社会でお道の心を持ち動く人間が必要とされているのだ。自分はこの世界の中でどんな用材として道に、世界に貢献できるか。
小さな枠の進化ではなく、大きな枠を見て成人の道を歩んでもらいたい。
 おやさまは、いつも我々に期待をかけてくださっている。
       この木切ろうかあの石と 
       思えど神の胸次第 
             2022/1/1      M.S

 今年もいよいよ残りわずかになり、やり残したことに追われながら(気持ちだけ笑)日々を送っている今日この頃です。
 そんな中ですが、4年前ににをいがけ先でおたすけを頼まれて、12月から1月半ばぐらいまで約1ヶ月半の間通わせてもらっているところがあります。
 教会の御用以外の日は、ほぼ毎日朝の8時から夕方5時まで時間をとられてしまうので、大掃除どころか日々の事すらこなしきれずに終わる日もあります。私は、こんな日々を不足に感じてしまう時があります。そんなとき、ある本の一文を思い出すようにしています。
 ~おたすけについて~
“世間はまず自分の生活を確立して、ゆとりがあれば他人を援助しようとする
 お道は自分の生活を確立するためにはまず他人を助けねばならな”
 これを思ったとき、自分の用事が出来ていなくてもそれで良いんだと思えて、次の日も勇んだ気持ちでおたすけ先に向かえます。
 これからも、おたすけの心を忘れることなく勇んで通らせてもらいたいと思います。
                         2021/12/22   S.U

 突然ですが皆さんは1日に何回くらい笑いますか?
 1日に2,3回という方もいれば10回以上笑う方も居られるでしょう。子どもは1日平均400回以上も笑うのに対して大人の平均は約15回しか笑わないといわれているのには驚きです。
 笑顔でいると脳内からセロトニンというホルモンが分泌されるそうです。
セロトニンは心を安定させたり、幸福感を得やすくなることから「幸せホルモン」と呼ばれています。セロトニンが分泌されることで、前向きでポジティブな気持ちになれ、たとえ落ち込むような出来事があっても、笑うことで気持ちを切り替えることができます。
 それは、笑顔を作れば、脳が「楽しい」と判断するからだそうです。笑っている人をみると自分もついつられて笑ってしまうという経験は皆さんもあると思います。
 コロナ禍でマスクをつけていることが当たり前になってしまっている今日、マスクの下はどんな顔で過ごしているでしょうか?ムスッとした顔になっていませんか??
 マスク越しでも笑顔は伝わります。笑顔の輪が広がる発信源になっていきたいものですね!
               2021/12/15    S.S

挨拶
   結婚して妻と二人で生活を始めた頃、私達にはある悩みがありました。
それは、ご近所付き合いです。
私達が引っ越して来た家の近所には独居のおばあさんが多く、ずっと長く住んでおられ、新しくやってきた私達をなかなか受け入れてくれませんでした。
   ゴミの日にゴミを出そうと収集場所に持っていくと、隣の家のおばあさんに「あなた達はこっち!」と、遠くの方へ持っていくように言われたり、ある時は、荷物を積もうと家の前に車を停めていると、「ここはあんたの土地やない」と注意されたり、あまり良く思われていませんでした。
 そこで、毎朝おばあさんに対してこちらから
「おはようございます」
「こんにちは」
「こんばんは」
   と笑顔で挨拶をする事にしました。
最初は返事をしてもらえませんでしたが、ずっと続けているうちにだんだんと笑顔で挨拶を返してくれるようになり、他愛も無い世間話をさせてもらえる中になりました。
   良かったなぁと思っていた矢先、そのおばあさんを見かけなくなりました。1ヶ月ほどが過ぎ、久しぶりにおばあさんを見かけ声をかけると、その期間おばあさんは体調を崩して入院されていたのでした。まだ体調が優れないとの話を聞き、是非おさづけを取り次がせてもらいないかと伺ったところ、おばあさんから
「ありがとう。お願いするわ。」とおっしゃられ、おさづけを取り次がせていただけました。
   あの日、好かれてないからと関わることをやめてしまっていたら、このような繋がりはありませんでした。
   挨拶は人と人との繋がりの基本ということは誰もが知っていますが、日々実践することで改めて挨拶の大切さを実感できました。
 これからも出会う人に気持ちの良い挨拶をして日々通らせてもらいたいものです。
                         2021/12/8   S.S

 私は、にをいがけが苦手です。特に戸別訪問は、中々勇み心を持てていないように思います。
そんな私に、神様はメッセージを下さいました。ある日、主人から、「毎日一緒ににをいがけに行こう」と言われました。内心とても驚きましたが、主人の勇み心がストレートに伝わってきて、自信は全くないものの、「私も頑張りたい!」と返事をしている自分がいました。その翌日から、毎日お願いづとめをしてから、午前中に歩かせて頂くことにしました。
 どきどきの初日。不安と緊張いっぱいでしたが、教祖と主人のお陰で、一軒ずつインターホンを押すことが出来ました。この通りで終わりにしようかと言ったところで、たまたまご部内の教会の信者さんが、お宅から出てこられました。私たちは、その方のお宅と知らずにインターホンを押したので、信者さんにお会いできた時は、嬉しさと安心感でいっぱいになりました。「若い方が頑張ってくれると、こっちも元気をもらえるよ!これからもがんばって!」と、励ましの言葉を頂きました。私は、その信者さんを通して、教祖が言ってくださっているように感じました。
 この感動の初日以来、20日ほど続けさせていただいております。これからも、夫婦仲良く、歩きたいと思います!
                2021/11/27   H.T

     最近とても寒くなってきました。みなさな、お変わりなくお過ごしでしょうか。
  今年もあとは残り1か月半程になりました。
毎年言っているような気がしますが、今年も1年が過ぎるのがとても早いなと感じます。去年に引き続きコロナ禍で、なかなか身動きの取れない1年だったなと私自身は感じています。
  ですが、「時間」というものは一度過ぎてしまうと戻ってはきません。「今年も何もできなかったなあ」と感じていた時間はもう二度と戻ってくることはないのです。怒っていても、悲しんでいても、ふてくされていても、どんな人にも「時間」というものは平等にお与えくださっています。それなら、喜んで、楽しんで、笑っている時間を過ごした方が、自分も幸せですし、自分の周りにいる方々も幸せに過ごせるのではないかと思います。
  毎日、元気に過ごさせていただけていることももちろん親神様からの御守護ですが、どんな人にも平等にお与えいただいてる「時間」というものも、御守護だと思います。そんな御守護をマイナスの心で受け取るのではなく、プラスの心で受け取ることができれば、日々がもっと明るく勇んだものになるのではないかなと思います。
 そんなプラスの心になれるよう、日々の時間を大切に通らせて頂きたいと思います。
                                          2021/11/22     K.N

  先日、SNSで日々のなかで有り難いこととは?というお道の投稿を見て、日々のなかで有り難いと感じることは何か?と考えることがありました。
  改めて考えてみると、朝、目が覚めたこと、ご飯が食べられること、蛇口をひねればお水やお湯が出てくること等、普段の何気ない生活は、有り難いことで溢れていました。
そして、それに気付き、ありがたいなぁと思うと、自然と幸せな気持ちになりました。幸せな気持ちになると、周りの人にもより優しくできるような気がしました。
  また、私たちが生活していく上で、自分一人で成り立つものは何もなくて、親神様の御守護をいただけているから、成り立っていることを改めて感じさせていただきました。
これからも、日々のなかで一つでも多く、有り難いと感じられるよう、そして、幸せな気持ちで人により優しくできるようになりたいなと思います。
                                2021/11/15      M.T

「神様の思い」
 朝夕寒くなってきましたが皆さんお元気ですか? 
 最近、信者Aさんの体の調子があまり良くないと聞き、民間の病院へ付添をさせてもらいました。検査結果が思わしくなく、すぐ大きな病院へと医師に言われるがまま大学病院へ向かいました。 
 6時間の検査を終えてふらふらなAさん、医師からは、「大腸がんです。肝臓に転移もしています。手術は出来ない状態です。」 
Aさんと私ははただ無言で説明を聞いていました。 
 会長の手引きで信仰に入り、数十年。以来、家族のように親しく接してきたAさんの病は、わたしたち家族にとっても大きな節でした。 
 しかし、わたしはこの信仰のお陰で、現実に起こる悲しい辛い出来事にただ涙するのではなく、Aさんの身上を通して、その裏側に込められている神様の大きな親心を見つけたい、と気持ちを切り替えて頂きました。 
 家族や教会の方が心を合わせ、今一度優しい心をでおたすけに励ませてもらえるように話し合う機会を頂きました。 
 見るも因縁、聞くも因縁、世話取りするのはなおのこと 
と聞かせていただきます。 
「Aさんの助かりを願って、神様の御用喜んで何か受けさせてもらおう」との会長さんの思いに一手一つ心を寄せて、いつも神様は私たちの心の成人を見守ってくださり、必ず誠真実を受け取ってくださると信じ過ごしていきたいと思います。 
 突然何が起こるか分からない毎日。すぐには喜べないことも沢山あると思います。
 そんな時は周りに頼りながら、無理のないペースで、その節に込められている神様の思いがどこにあるのかを、皆さんと一緒に探していきたいなと思っています。
                               2021/11/8    A.H

 今、うちの中三の娘は韓国のアイドルグループ「BTS」にはまっています。学校から帰るとテレビの前を占領し録画したミュージックビデオを目をキラキラ輝かせてノリノリで見るのが日課となっている。
 今度「BTS」のオンラインライブが開催されるらしく、とても楽しみにしています。そのオンラインライブは視聴するのに5000円以上するチケットを買わなければならなくて、お小遣いで買うから買わして欲しいと相談があった。どうしても買いたいとのこと。何でそんなに買いたいの?と理由を聞くと、BTSのことを自分に教えてくれた友達と一緒に見たいと言うんです。
 その友達の家は母子家庭で生活が大変なのでチケットを買うことができなくて、いつも何かにつけて我慢して暮らしているそうです。その友達に「BTS」を自分に教えてくれたお礼にチケットを買ってライブを見せてあげたいそうなんです。そう話してくれたのが何だかちょっと嬉しくて心がほっこりしました。ライブは24日なので今まで以上にお手伝いや年下の子の面倒を見るなど積極的に行ってくれ私達もたすかっています。考えてみるとこの子の行動は自分の欲の為にしている行動かもしれない。でも、お友達も私達も喜ばせてもらっている。もちろん神様もお喜び下さっていると思う。短期間であっても色んな人に喜んでもらえたということはこの子の心の栄養になり、おたすけに繋がっていくと思う。ライブ当日は何がなんでも楽しく過ごしてもらいたい。私はそんな風に思います。
 最後に、私たち人間は親神様の十全の御守護を絶え間なくいただいて生きています。また、天然自然の恵みを受け、大勢の人たちのお世話になって暮らすことかできているのだと思います。いつの時も感謝の心で、神様にそして身近な人にも喜んでもらえるように日々過ごしていきたいですね。
          2021/10/22    M.O

 「教祖、どうか力を貸して下さい!」
 困っているお友達に声をかけるって勇気がいると思いませんか?
先日『天理時報』を読んでいると、「つながりトークルーム みんなに聞きたい! こんな時どうしてる?」というコーナーがありました。そこに20代男子学生の疑問が掲載していました。
「目の前に困っている人がいても、恥ずかしくて声をかけられません。どうすれば勇気をもって声をかけられるでしょうか?」
という質問です。いろいろアドバイスがありました。ある人は、
「教祖が『自分のために、その人と出会わせてくださった』と考えると、少し勇気が湧くかもしれません。もし困っている人と遭遇し、声をかけることができたら、まずはしっかりと話を聞けばいいのです」
また、
「私はなかなか声をかけられないとき、教祖ならどうなされるかを考え、『教祖お力を貸してください』と心の中で言うと、不思議と声をかける勇気が湧いてきます」
というアドバイスがありました。
 私はそれを読んで、心の中で「教祖どうぞ力を貸してください」と言う姿。これはご存命の教祖を信じ、ひながたを求めている姿だと思いました。いろいろな形で皆さんが教祖を頼りに通っていることがわかります。
 現在、コロナで自由な行動が制限されるような状態が続いています。お道では「身近な人へにをいがけ」と言われます。これは一瞬やりやすいように思いますが、かえってハラハラドキドキすることもあると思います。
私が20代の頃、信仰のない近所の友人が入院しました。お見舞いに行っておさづけを切り出すのに、それは勇気がいりました。でも、勇気を出して切り出すと、その友人は「何か温かいものを感じたよ。ありがとう」と喜んでくれました。
 どうやったら困っている人に声をかける勇気が湧いてくるのか。それは「教祖を頼りに通る」ことだと感じています。勇気を出して勇んで過ごしましょう。
            2021/10/15       Y.M

 人間は日々に気づかないうちに、自分の力で生きていると勘違いして、かりものの理を忘れ、神様の思いから離れた暮らしをしてしまいがちです。ですから、この神様のご守護を忘れないように、朝づとめ、夕づとめを勤めさせていただくことが私は大切だと思います。
 朝づとめでは、十全なるご守護に生かされていることにお礼申し上げ、今日一日、思召しに沿って勇んでつとめることをお誓いし、また今日も無事無難に健すこやかにお連れ通りいただけますようにと、願いを込めて勤めます。夕づとめには、一日を結構にお連れ通りいただいたお礼と反省、そして明日への祈りを込めて勤めます。
 当たり前といえば当たり前ですが、心をこめて朝と夕に神様に向き合うことで、よりかりものの理を心に治めることができると思います。
 まず自分自身がしっかり日々に感謝し、心を動かして、毎日を楽しく勇んで通らせて頂きたいと思います。
           2021/10/8      M.M

 毎年、児童虐待件数が増加している。平成27年では始めて10万件を超し、令和2年は始めて20万件を超しました。虐待と呼ばれる中には、身体的虐待、ネグレクト、性的虐待、心理的虐待などが代表されますが、虐待の半数以上が心理的虐待です。
心理的虐待とは「見えない虐待」と呼ばれ、脅す、嫌味を言う、罵倒するといった言葉の暴力をはじめ、無視する、兄弟間で差別をするといった精神的にダメージを与える行為だと聞きます。
大人の間違った行いによって、子供達の心に大きな傷が付き、苦しみ悩み、想像も出来ないくらい辛いトラウマになってしまします。
 教祖は、「やさしい心になりなされや。人を救けなされや。癖、性分を取りなされや。」と教えて頂きます。
又、「むごい心をうちわすれ やさしきこゝろになりてこい」(五下り、六ツ)とも教えて頂きます。
 私たちの言葉一つで人を救う事もでき、また逆に犯罪になってしまう事もあります。この言葉の大切さを改めたて感じさせて頂きます。
 「一れつのこどもハかわいばかりなり とこにへたてわさらになけれど」(十五、69)        
 神様の目から見れば、どこまでも一列兄弟であります。
             2021/10/1       Y.F

  朝晩の風か心地よく秋めいてきました。とても好きな季節です。少し涼しくなり、寒くなっていく、この季節に私は左足に少し違和感を覚えます。それは15年前の骨折の後遺症です。
 その日、子供を片手に抱え、もう片方の手には荷物をもち、運動靴をしっかり履かず、歩きながら靴の踵を踏みながら履きながら…そしてバランスを崩し、転倒。子供は自分のお腹の上で、すごい勢いで泣くし、私は起き上がれないし…と思っていたら気付いた主人が直ぐに来てくれたので私は寝転がったまま子供を預けたら泣き止んでくれたのでホッとしました。そこからは痛みが激痛に変わり、病院では検査と処置が終わったあとに医師が言った言葉は「交通事故を起こした時のような折れ方ですね」と。膝から足首までの2本ある骨の折れ方についてそう言われました。
幸い子供は私のお腹の上に居て無傷でした。
 後日、主人は本当はどこかで子供と共に交通事故に遭うところを玄関先で骨折で済ませてもらった。
と言っていました。
 「稿本天理教教祖伝逸話篇 147 本当のたすかり」に、
 「省略…すっきり救けてもらうよりは、少しくらい残っている方が前生のいんねんもよく悟れるし、いつまでも忘れなくて、それが本当のたすかりやで。人、皆、すっきり救かる事ばかり願うが、真実救かる理が大事で…省略」
とあります。
 私は前生のいんねんを悟れる力はないですが、その日の事を思い返し、親子とも救けて頂いた事に感謝してもしきれません。毎年、この季節に、この事を柔らかく温かく教えて下さるおやさまに「よぉ悟ってくれたなぁ」といつか言ってもらえる日が来るように身近な人にこの道の素晴らしさを言葉で伝える努力をしたいです。
           2021/9/22     M.T

仲間と一緒につながろう
 ある年の春学に青年会からスタッフとして参加したときに、学生会は少年会から青年会、婦人会へのつなぎの役割を担っているという話を聞きました。また、学生自身もつなぎの役割をしっかりとつとめていきたいと言っているのを聞いたこともあります。
 そのことを思い出した時、改めて「なぜつながっていくことが大切なのかな」と思ったんですが、一番に思い浮かんだことは、親の声を一早く聞かせていただけることだなということでした。青年会や女子青年の活動に参加することで、親のお側に居させていただける。親の声を一早く聞かせていただき、親のご用をつとめさせていただいて親元で伏せ込ませていただける。この事がとてもありがたいなと感じさせていただきます。
 活動の場が学生会から青年会、婦人会へ変わったときに戸惑いを感じることもあるかもしれませんが、決して間違ったことをしている訳ではありません。たとえ今までやってきたように思うようにできないことがあったとしても、その中をどう通らせていただくのか?先輩たちがどうやってつとめているのかを学ばせていただくことが大切だと思います。そしてもう一つは、自分の居場所を作るということ。もし、馴染めないな、違うなと感じることがあっても2回3回、5回6回と活動に参加していくうちに気がつけば先輩たちが自分の居場所を作ってくれています。居場所ができれば、仲間ができて、仲間ができたら自然と楽しくなってくる。そうすれば、今まで以上に学べること感じることが増えてくると思います。その時、側にいる仲間の中に学生会を一緒に頑張ってきた仲間がいたら嬉しくないですか?
                                         2021/9/15      K.Y

 
  私には4歳の息子と3歳、1歳になる娘がいるのだが、3歳の娘は私に似て皮膚が弱く、荒れている部分が身体に多くある。8月に親戚の教会に行く用事があったので、その教会は車で15分の所に海があり、ついでに娘の皮膚のためと子どもらには初めてとなる海を経験させてあげたいと思い少し寄ることにした。まあ入っても1時間くらいで上がるだろうと思っていたし、暑いからちょうどそれぐらいで切り上げようと予定をしていた。
 初めて海を見た長男は大はしゃぎで、それまではホームセンターで買ったプールしか入ったことがないから、すごいテンションが上がって興奮していた。長男は泳ぎはしないが魚を追いかけたりと浅瀬でつかるぐらいはして遊んでいる。さあ次は娘の番だと待っていたら、水着に着替えるのは着替えたのだが、海の大きさにビビッて、「嫌、入らない!」と頑なに入るのを拒んでわめき散らしていた。なんやねん「せっかくお前のために海に連れて来たのに」と内心思っていたのだが、なんとかちょっとでも海水を身体にかけようと誘っても全然駄目で、滞在時間は30分ほどで終わった。まあ来年は入ってくれるかなと期待して、良い海だったから来年もここに来ようと思いながら、親戚の教会へと帰路に着いた。
 お道では皮膚の身上は「つなぎ」と教えられている。自分も皮膚が弱いから常々言われ続けてきたし、自分でも納得し意識して通っているつもりだった。しかし、(遺伝は置いといて)娘にも見せられていることに目を背けず、まだまだ足りないからしっかりと「つなぎ」の部分をして通りなさいと神様から言われているようにも思う。
 本気でお道を通る前は、様々なところで「切って」きたなと思うし「つなぐ」ということをしてこなかったようにも思える。「切る」や「やめる」ということなどは本当に簡単ですぐできる。逆に「つなぐ」ということは時間も忍耐も根気もいる大変で難しいことだと、この道を通っているとよく分かる。だからつなげられた分があるとそれは大きな喜びとなって返ってくるし、その喜びがあるから勇んだ気持ちが湧き上がってくるのだとも思う。
                 2021/9/8     Y.K

 今年もあっという間に8月が終わろうとしています。 去年の念頭からのコロナ禍は相変わらず収束の気配はなく、まだまだ終わりそうにありません。
 そんな中、最近頻繁に神様は本当に動いた分だけご守護を見せていただけるんだなと思います。身上、事情のおたすけや人の心の動き、様々な場面でそれを感じます。大切なことは何事も真正面から全力でぶつかることだとつくづく感じます。
 話は変わりますが、バスケットボールの人気漫画のスラムダンクの名シーンで、「諦めたらそこで試合終了ですよ。」というセリフがありますが、このコロナ禍の中どうしたら勇めるかまた周囲を勇ませられるか、決して諦めることかなく今自分に何ができるかを考えながら突き進みたいと思う今日この頃です。
            2021/8/22     K.I

「コロナ禍だから」
 4度目緊急事態宣言が出ました。
学生さんは殆どの人がワクチン接種が行き届いていない現状と思います。
 先日、私は、本部神殿に参拝させて頂きました。平日で、あまり人もいない時間、いつも通り私は、南礼拝場の結界の近くに座らせて頂き、いつも通りおつとめをさせて頂きました。途中、背後に人の気配を感じ、その人も私と同じように前の方に来て参拝される方なんだな、って思いながら、座りづとめを終え、親神様を拝して、顔を上げると、背後にいたその人が、「すみません。おさづけ取り付いで頂けますか?」って、私に、仰ったんです。コロナ禍なので中々おさづけのお取次ぎができない今、見ず知らずの方が、見ず知らずの私に?って、ちょっとびっくりしましたが、そんなん断る理由はありません。すぐさま、お名前やらお伺いして、お取次ぎさせて頂きました。終わったら、その方が、「マスクされないんだね。」って言われ、ハッと気づいたら付けていませんでした。おつとめする時から、私は、一番前に座るからいつも外していて、そのままさせて頂いていたのです。すかさず、「お帰りになられたら、うがい手洗い必ずして下さいね。」ってお伝えしまた。突然の神様のご用をお与え頂き、心勇ませて帰りました。
 コロナ禍だから、色々な場面があったり、色々な勉強もできたり、コロナのおかげとも思える日々です。
             2021/8/15    M.T

 ある方のお子さんが何か失敗をして気持ちが下向きになり、親に対しても、拗ねて口すら開かないようになりました。このような時には次は失敗しないことに注意すればいいと言うのが一般的であるとおもいます。
 私はその子に誰にでも失敗することはある、失敗しない人などいないんだよと話しました。ことわざにも「失敗は成功の母」であったり「七転び八起き」等あるように、失敗を恐れてしまってはたとえできたとしても、それは小さなものになってしまい、かえってマイナスになる事もあり、得るものが少なくなってしまう。
 失敗があるからこその色々な気付きから成功への道が開けるのだと伝えました。そのお子さんはそれから顔が明るくなり、心に元気が戻りました。失敗は自分自身が成長できる素晴らしい経験です。最後にこの言葉で締めたいと思います。
 「私のやった仕事で本当に成功したのは、全体の1パーセントに過ぎない。99パーセントは失敗の連続であった」       本田技研工業創業者 本田宗一郎
                 2021/8/8     T.A

 7月23~24日に夏学が開催されました。コロナ禍にも関わらず47名もの学生が参加されました。学生さん同士の交流の場を設け、互いの親交を深め、その中から信仰もあわせて深めていくという今回の試みは素晴らしいものであったように思います。
 私も共に参加させて頂いて、皆さん楽しそうにされてたので私もうれしくなってきました。日頃学生さんと関わる機会が本当に少ないので、今の学生さんの考えてることや本音を私も聞きたかったなあと感じました。
 また、この夏学がそれぞれのつながりとたすかり、そして成人の上になることを親神様、教祖にお願い申し上げます。
     2021/8/1   M.N

 早くも本年も後半の月が始まり日々、親神様、教祖からの御守護によって身上障りなく健康に過ごさせて頂いているんだなと実感しております。
 こうした中ではありますが、まだまだ今の現状を考えますと様々な活動において制約がありますが、少しずつでも今年の前半に比べると動ける範囲が広がってきたように思われます。
 これまで動けなかった分、これからの教会活動などについて改めて親神様が考える機会を与えてくださっているんだなと思うようになり、今までのことを反省するところはしつつ、それを踏まえてこれからのことを思案する日々が続いております。
 一人でも多くの方に、共に陽気ぐらしへと親神様に導いて頂けるよう頑張っていきたいと思います。
            2021/7/22   M.M

ほこりの勉強
 修養科に行かせてもらってる姪が"八つのほこり"の勉強をし、1週間、毎日どんなほこりを積んでいるか記録したそうです。自分で書き出したら出るわ出るわで、はらだち、よく、こうまん、をしい・・・。
 でも、1日だけ、何も思い浮かばなかった日があったそうで、「我ながら凄い〜」って思って振り返ってみると、その日は人の事を考えていて休み時間もあの人の話を聞かせてもらおう、あの人におさづけを取り次がせてもらおうと動き回っていたなと気付いたそうです。
 この話を聞かせてもらってやっぱり人の為に体を頭を心を使わせて頂くと、いつの間にか自分が助けてもらうんやなぁ…と改めて気付かせて頂きました。
 今、とにかくおたすけを!と聞かせて頂く中で、目の前のたすけを求めておられる方を見過ごす事なく、しっかりおたすけをさせていただける様にめいいっぱい体も心も使わせて頂きたいと思います。
                   2021/7/15   T.H

 冷笑主義が蔓延している現代。何をやっても、例えそれが善い行いであっても、そんなことやっても無意味でしょ!という批判めいた声が聞こえてきそうです。
 確かに何事も一時の流行りのようにやっても大きな効果は出ないし、上辺だけのイベント的な努力だけでは事足りないのかもしれません。
 そんなことを思いながらもSDGSの波に乗り、「もったいないをなくそう」をコンセプトに自教会でフードパントリーを始めました。
 開始から半年、そこには携わらないと見えない、聞こえない現実が溢れていました。
 この道は実践信仰‼︎
 とかく難しく考えて、結局何も出来ないというより、いつも思い切れる気持ちを持って、挑戦していきたい‼︎
                                           2021/7/8   M.S

「虹と多様性の話」
 先月、大教会できれいな虹を見ました。山側に出ていたので、正面から神殿にかかる虹の写真も撮ることができました。
 日本では虹は7色(赤・橙・黄・緑・青・藍・紫)とされていますが、これは世界共通ではないようです。
 アメリカなどは、赤・橙・黄・緑・青・紫の6色。(藍がない)。
 ドイツなどでは、赤・橙(or紫)・黄・緑・青の5色。(藍・紫(or橙)がない)
 その他、4色や3色の所や、一部部族の中では2色や、逆に8色に見えていることもあるようです。
 実際に、6色や4色の虹が出ているわけではありません。
 虹の色はグラデーションで分かれていますから、見る人によって、「何色と何色がある」と思うことが異なるということです。
日本では、微妙な色の違いを細かく区別しますので色の種類は多いですが、もっとざっくりと色を分けている場合では、細かい違いは認識されないでしょう。
 私はこれが、多様性(ダイバーシティ)ということなのだと思います。
 同じものを見ても、教育や文化によって、思うこと・感じることはそれぞれ違う。さらにその中でも、一人ひとり異なる。『皆、それぞれが違う』ことを前提に、お互いを認め合う世界になっていってほしいと思います。
 文頭の虹の写真を見返してみました。……私には5色(赤・橙・黄・緑・紫)に見えました。ドイツとも微妙に違いますね(笑)。次の機会には、写真を撮ることに必死にならず、改めてしっかりと見てみたいと思います。
 ちなみに、虹は太陽の反対側に出ますので、朝は西の空、夕方は東の空に。また、太陽が地平に近いほど、高い位置に虹が出るとのこと。雨上がりは要チェックや!
                            2021/7/1 K.M

  「あくまで自分を変えていく」
 "人のふり見て我がふり直せ"ということわざがあります。
 相手は変えられませんから、相手の態度や行動を通して、自分も同じところがあるのかもし れないと反省し、自分を変える努力をすることは、とても大切なことです!
 ですが、自分を変える努力をしていると、自分が変わればそのうち相手も変わってくれるんじゃないか、という期待がつい芽生てしまうものです。
 けれど、大切なのは、あくまで自分が変わることです⭐︎
 自分が変わるために相手がいるんだと思って、相手ではなく、自分自身の成長を楽しみに通ることが大切です!そして、自分が変われば物の見方、考え方が必ず変わってきます⭐︎
 すぐには変わることは出来ませんから、日々の積み重ねがとても大切だと痛感します。毎日少しずつでも、理想の自分に近づけるように努力したいものです!
 さて!今日も昨日の自分より成長できることを信じて頑張りましょう⭐︎
        2021/6/22      T.N

「死にたい」という人が4月に教会に来た。
毎日毎日夜になると死ねる場所へと自然と向かい、その場で立ち過ごしてしまうらしい。
私は彼の話を聞き、「教会に来れば気持ちが楽になりますよ」と伝え、日参みたいなものを勧める。すると彼は毎日は来ないが3日と空けず、教会に来るようになる。私はその度に「うんうん」と話を聞き、彼の心に寄り添う努力を重ねた。
 教会に来て2週間ぐらいが経って、彼の顔に笑顔が出てくるようになってきた。
声に出して笑うようにもなってきた。まだまだ毎日死にたいという思いはあったみたいだが、心にゆとりが出てきたように感じた。
 私は彼にお願いをする。
「心から思わなくてもいいから今日も幸せですと感謝をしてもらえないだろうか?」
彼はこの言葉を聞いて渋る。私も彼の状況を思ったとき、なかなか感謝なんてできないと分かっていた。でもお願いをする。すると彼は「分かりました。感謝してみます」と感謝することを約束してくれた。
 毎日毎日形からの感謝が始まる。すると彼の毎日毎日死にたいの思いがどんどんと薄れていった。
 教会に始めてきてから一ヶ月。彼は終始笑顔で話ができるようになってきた。追加でお願いをした人さまの幸せも祈れるようになってきた。もう死に場所に向かわなくなっていった。
 その後、彼は初めてお供え物を持ってくる。それはビール一箱。私はそれを押しいただき、「今度は日本酒もお願い」と言葉を付け足した。彼は笑った。
 日参。神さまへ足を運び、神さまへ心をつなぐ。神さまは近づく者に尚も可愛いと守護をくださる。
               2021/6/15   M.S

 若い頃、ある教会で聞かせて頂いた講話の中で“天然自然の理”についてとても分かりやすく話されていた。
 「ある兄弟が水を張った桶を囲んで遊んでいる。私が先に私の方にと水を掻き寄せると水は相手の方へ流れていく。逆にあなたが先にどうぞどうぞと水を相手の方に押し出すと水ははねかえって私の方へ流れてくる。これが天然自然の理やで」と…
 それまで何となく耳にしていて抽象的だったものが一気に具体的なものになりスッと心に治まった。
 この現象は学者がしたものでも人間心でしたものでもなく、またできるものでもない。
人間業では出来ない、天の理に従って素直におやさまのひながたをたどらせてもらうことがおやがみさまがお望み下さる陽気ぐらしにつながると思う。
 まだまだコロナ渦にありますが自分のことよりまず相手を気づかう心を忘れず共々に人助けの心を育てさせて頂きたいと思う。
         2021/6/8    S.U

 私は一年前、修養科へいかせてもらったのですが、そこでは様々な素敵な出会いがありました。修養科で出会った人たちを通して、改めて神様や自分自身と向き合うことができ、学び多き、喜び多きの3ヶ月を過ごさせてもらうことができました。
 私たちは人生で様々な人と出会いますが、実は私たちが一生で出会える人の人数は限られているそうです。
 世界の人口は今、78億人を超えているそうですが、私たちが一生で出会える人の人数は、およそ3万人だそうです。もっといえば、親しい会話ができる関係が300人、友達と呼べる関係が30人、親友と呼べる関係が3人だそうです。何気ない出会いですが、私たちの出会いは奇跡のような確率で出会った人なのですね。
 中には「この人苦手だな。」、「この人合わないな。」という方もおられると思います。そんな方も人生で出会う3万人のうちの1人と思えば、一人一人との出会いがとても大事に思えてきますね!
 神様が用意してくださった出逢い。これからもどんな人との出会いが待っているのか、ワクワクします。

                   2021/6/1    S.S

 私は介護施設で働かせてもらっています。
 3月のある日の仕事中の出来事。
その日は、車椅子の利用者さんの入浴介助の業務をしており、ある利用者さんの介助を行っているときの事でした。その方はまだ60代前半と施設利用者の中では若い方なんですが、脳出血で倒れてしまい左半身が麻痺しており、寝返りをうつことも出来ない状態の方でした。
 入浴介助は一対一で行うので、私はいつも何かしらのお話をさせてもらいながら介助を行っていました。
 ちょうどその日は天理高校が選抜甲子園で試合を行っていました。
偶然にもその方の入浴時、その話になり、私は「天理高校は私の母校なので応援しているんです。」と言うと、利用者さんから「兄ちゃんは天理教か?」と尋ねられました。「はい!信仰しています。」と応えると、その利用者さんは笑顔で、「天理教はええなぁ」とおっしゃいました。話を聞いていると、利用者さんが半身麻痺になった時に、その方の奥様の職場の同僚の方が教会の奥様だったようで、その奥様は話を聞いて、すぐにおさづけをお取り次ぎに来てくださったそうです。初めて会う人の救かりを願ってくれている姿に感動した。と嬉しそうに話して下さいました。
 人の救かりを願う事の大切さ、その思いを行動に移すことの大切さを学ばせてもらいました。
 就業中におさづけのお取次ぎは難しいですが、この日以降、利用者さんの患部に触れる時は神様にお願いさせてもらいながら擦らせてもらっています。
 教会の奥様の様に働くよふぼくとしておたすけのアンテナを張って、出会う人の助かりを願える人を目指していきたいです。
                2021/5/22    S.S

 私事で恐縮ですが、今年の6月におぢばで結婚式を挙げさせていただききます。現在はそれに向けて、色々と準備を頑張っているところなのです。4月下旬には、披露宴の打ち合わせのためにおぢばがえりをする予定でしたが、緊急事態宣言が発令され、おぢばに帰れなくなってしまいました。私の家は遠方の教会ですので、おぢばに帰れるのをとても楽しみにしていましたので、「何でこんな時に…」と悔しくなり、テレビをつけてはコロナのことばかりで、気持ちが晴れない毎日でした。そんな中、神様のお言葉を思い出しました。
「なんどきに かえりてきてもめえめえの こころあるとは さらにおもうな」
 おぢばは、自分が帰りたい!と思うだけでは帰れない場所で、神様がちょうどいい時に呼んでくださる。きっと次に帰れる時に、もっと良いことがあるのかもしれない!と、思えるようになりました。
 次におぢばがえりできるのを楽しみに、今は教会で出来ることを、一生懸命させていただきます!
     2021/5/15    H.N

    大阪、兵庫、京都、東京に緊急事態宣言が発令されて、約2週間経ちます。大型商業施設に休業要請が出ていますが、私が働いている店舗は商業施設内にありますが、時間は短縮されて営業しています。また人の流れも宣言が出る前とあまり変わっていないように思います。ですが、そんな中でも新型コロナウイルスは猛威を奮っていて、毎日多数の新規感染者が報道され、医療従事者の方々や、罹患された方々をはじめ、大変多くの方々が新型コロナウイルスと戦っています。
  そんな毎日を過ごしている中で、神様は人間に何を伝えようとしているかと考えることが増えました。制限される事が増え、マスク警察であったり、世の中の人がぎすぎすしているな、と思うようになり、自分自身もそうですが、こんな時だからこそ、助け合うことが大切なんやなあ、と思うことが増えました。
  親神様は陽気ぐらしをするのを見て楽しもうと、人間を作られました。そんな私たち人間が、新型コロナウイルスの感染拡大によってぎすぎすしているの見て残念に思われているのだろうなと思います。まずは身近な人たち、家族からでも思いやりの気持ちを持って、関わっていくことが陽気ぐらしに繋がっていくのかな、と私は思います。いきなり大きなことはできなくても、少しずつ周りの人に優しくしていこうと思います。
                                       2021/5/8  K.N

   4月も終わり、新年度になって1ヶ月が経ちましたね。
 保育士をしている私は、4月から新しいクラスを受け持ち、日々奮闘しています。初めて受け持つ年齢の子ども達、そして、クラス責任者という立場を頂き、不安しかないスタートでした。スタートしてからは、やはり、自分の力なさ、余裕なさに落ち込む日が多いです。
   ですが、他のクラスの先輩方が気にかけて話を聞いてくださったり、アドバイスをくださったりと、たくさん助けてくださっています。その度に、自分は恵まれているなぁ、せっかくこうして気にかけてくださっているのだから、素直に受け止めて行動していくしかないなと思っています。また、ある先生から聞いた「神様は越えられないことは絶対させないし、自分自身が成長する機会を与えてくださっている」という言葉を考えると、私も頑張ろうと思うことが出来ました。
   これからもきっといろんな事が起きてきて、喜んだり、落ち込んだりすることがあると思いますが、なってくることを素直に受け止め、笑顔で勇んでいきたいなと思います。
                               2021/5/1   M.T

  この春、進級進学、また卒業や就職をされた皆さんおめでとうございます!そして、いかがお過ごしでしょうか。
  4月といえば、おやさま【中山みき様】のお誕生日が18日にありましたよね。わたしも教会で223回目のお誕生日を祝して、おつとめをつとめました。
  おやさまは「やさしい心になりなされや」と教えてくださり、自らも、どんな方にも優しい心で接しお通りになられました。
  私達は自分に優しく接してくれる人や、好きな相手には、どれだけでもやさしい心で向き合える気がしますが、中々そうは行かない相手と出会い、関わることもありますよね。頭では分かっていても実行するのが難しい時ってあるよなあと、反省することもしばしば。
  ある時、お道の先生からこんなことを教えてもらいました。
「この世界全ては、かしものかりもの。自分の心通り、本音にかりる借り物。自分の心で難しいと感じる時ってあるけど、だから、御存命のおやさまにお借りするの。」
  なるほど、と思い、私は、いつも緊張してしまう相手や、気持ちがざわついている時はおやさまにお願いするようにしています。「御存命のおやさま、今の私はやさしい心とはちょっと離れています。申し訳ありませんが、少しでいいので、優しい心を貸してください。」
  すると、なんだか心が落ち着いて、相手の立場になって物事を考えることができたり、思いやりの気持ちを持って伝えた言葉をきっかけに、物事が治まったことが何度もあります。
たまたまなのかもしれませんが、良かったら皆さんも試してみてください。
 出会いの春、おやさまから繋いで頂くご縁を大切に、日々優しい心で陽気暮らしへ向かって歩んでいきたいですね。
  最後に、お借りしたら御礼をしっかりお伝えするのもポイントだと感じます。
「御存命のおやさま、今日も沢山貸してくださり、ありがとうございます!」
                                    2021/4/22   A.H

  かしものかりものを失うと。
 私は高校3年生の春、それまで元気だった体が悲鳴を上げました。2週間で体重が10キロも落ち、トイレの間隔がどんどん短くなり、15分に一回ぐらいのペースになり、夜もトイレで起き、全く眠れない日が続きとうとう熱が39.5°が出て救急で診てもらいました。体は限界。心も倒れかけ。
 そんな自分に医者は「糖尿病1型です」と告げました。
 私は「なんでもいいから早く治してください!」糖尿病がどんな病気か当時の私は全く分からなかった。思いも通らず、医者から説明がありました。
 「今後、一生あなたは毎食インスリンという注射を打っていかないといけない病気です。これを3日サボると死にますよ。」意味が分からなかった。心が完全に倒れたとはこいう事だった。病院に来れば病気は治ると思っていた。「なんで私が」この言葉が頭をぐるぐる巡っていたのを覚えています。
 死の淵を彷徨っていた私に飛んできた姉がこう言うのです。
 「ありがたいね」とボソッと。私は体の血が頭に登っていくのを感じました。
 「どこがありがたいねん!」と言いそうになった瞬間再び姉が「たった一つ、臓器の機能が失っただけで、人間がそれを補うには毎回注射を打たないといけない、3日打たないと死んじゃうんだね、親神様のお働きってすごいね」そう言うんです。
 親神様のお働きを一つ失わせてまで気づけなかった。死んだ方がマシだなんて思っていたのが、その言葉でなんと申し訳ない事をしてしまったんだと、今すぐ神殿に行ってお詫びをしないと思い神殿に行きましたが、おつとめが出来ない程、涙が溢れ出てきました。
 姉の言葉で私は救われ、今も自分の身上と親神様と見つめ合って生活ができ、感謝の心で日々通らせて頂ける事ができます。
          2021/4/15       S.N

   おぢばでは桜も散ってしまいましたが、私の住む北海道ではやっと暖かくなってきて春を感じる気候になってきた今日この頃。進級、進学の季節です。
私の教会で預かっている子ども達7人も漏れなく進級、進学してくれました。
昨日、一番下の子が小学校の入学式を迎えました。コロナ感染症のお陰で入学式の入場制限があり残念ながら私は出席できませんでしたが、彼が出てくるのを玄関前で待っていました。彼は緊張しながらも立派に入学式を終えて校舎から出てきました。そして玄関前の「入学式」の立て看板の横で写真を撮りました。彼の希望にあふれたキラキラとした表情はとても印象的でした。
   先日開催された「高安春の学生おぢばがえり」では開催すらも危ぶまれた中でしたが、感染症対策に気を付けながら、今までと形を変えてでもさせていただきたい!参加してくれる学生さん達に喜んでもらいたい!という学生スタッフ皆さんの頑張りにより、予想を大きく上回る参加者をお与えいただき、学生たちの笑顔溢れる春学になったように思います。
   感染症の節は一年以上が経った現在でも衰えることなく、続いております。だからといって恐れて留まっていては何も生まれません。
新年度が始まったこの時旬。何かを始めるには絶好の機会だと思います。出来る限りの対策をしながら、自分にできることを実行させていただく。その中に「誰かの為に」という思いが込められていれば、きっと神様は大きな後押しをしてくださるに違いありません。
                                                                                                 2021/4/8     M.O

   髙安の「春の学生おぢばがえり」の2日間の日程が無事終わりました。私は初日の夕づとめの後、神殿案内のため1班と皆さんと一緒に回廊を歩いていました。女の子3人があまりにも仲良くしていたので「以前から3人は知り合い?」と聞くと「初めてでーす。でも私たち小さな頃から顔は知ってたよねー」とお互い顔を見合わせて答えてくれました。
 春学が始まって半日でこんなに仲良くなったんだな、と驚きとともに嬉しくなりました。また少年会から少しずつつながってきた温かみのようなものを感じました。そしてこのいい雰囲気はスタッフのお世話取りと頑張りの成果だなと思いました。
 コロナ禍の中、全く初めてしゃべるお互い。期間中どんどん仲良くなり、マスクの下から満面の笑顔が溢れていました。
 人との出会いは財産です。自分の価値観の広がり、世界観も広がります。
 

  世界は、この葡萄(ぶどう)のようになあ、皆、丸い心で、つながり合う て行くのやで


  新しいお道の仲間が、つながり合って楽しく和気あいあいとしている姿。きっと教祖はニコニコと見ていてくださったことでしょう。
                                2021/4/1   Y.M

  逸話篇のお話の中で、泉田藤吉(いずみたとうきち)さんは、
 なんでも苦しまねばらん、ということを聞いていたので、天神橋の橋ぐいにつかまって、一晩川の水につかってから、おたすけに廻られていた。そこで、教祖は「熊吉さん、この道は、身体を苦しめて通るのやないで」とお言葉を下され、泉田藤吉さんは、かりものの身上のとうとさを、身にしみて納得された。と聞かせて頂きます。
 自分の身体は、神様からの借り物で、神様の物なので、大事に扱う。また間違えた使い方をしてはダメですよね。例えば、自分で自分の身体を痛めつけたり、手や足で人を叩いたり、蹴ったり痛み付けるための道具ではない。口は、相手を傷つけたり、悲しませたりする道具ではない。というように自分の身体を間違った使い方はしていませんか?
 日々の信仰生活の中で、「かりもの」のご守護の世界に目を向け感謝し、小さなところから「たすけあい」の行いを積み重ね、親神様が陽気ぐらしをさせてやりたいという目的からお貸し下された、身体を間違いのないように大事に使わせていただき、私たちが陽気ぐらしをするということが、この身体を借りている恩を返す道になると思います。
                            2021/3/22  M

  「おじさんお荷物重いでしょ そこまで持たせて下さいな 僕らは道の子教会で 習って覚えたひのきしん」という歌があります。 
  私たちは、どこまでおじさんのお荷物を持たせて頂くと親切なのでしょうか。おじさんが休憩する間、持たせて頂く事が親切なのでしょうか?おじさんの目的地までなのでしょうか?私は、距離に関係なく全て親切な行いだと思います。しかし、相手が想像する以上の心使いや行いをするところに底なしの親切があるように思います。
 「互い立て合い、扶け合いが、第一でございますによって、少しでも、人のよいよう、喜ぶよう、救かるように、心を働かしていかねばなりません。」と教えて頂きます。相手を思いやり喜んで頂けるように、ひのきしんの心で毎日を送りたいです。
                      2021/3/15    Y.F

 『優しい心』
  以前、私が自分のした行動に対してかなり 落ち込んでいた時に、「大丈夫!よう頑張ったなぁ。っておやさまが言って下さってるわ!」と、お道の友達が私を励ましてくれました。単純な私は、その言葉をそのまま受け取り、その落ち込みから嘘のように平常の自分に戻って来る事が出来ました。 
  自教会では、夕づとめの終わりに「稿本天理教教祖伝逸話篇」をみんなで読ませていただきます。内容によっては読み終わった途端「おやさま、すげー!」なんて子供が発した言葉に信者さんと笑うこともよくあります。おやさまのご逸話を読ませて頂くと何とも言えないホッコリと優しい気持ちを頂く気がします。
  こうしておやさまをいつも身近に感じていたいと思うし、ご逸話より頂く優しい気持ちを、励ましてくれたその友達のように人へ伝えられるようになりたいです。
                    2021/3/8   M.T

  段々と暖かい日が多くなり春が近づいています。この時期になると、自分が学生だったときのことを思い出すことがあります。
 私が始めて学生会の活動に参加したのは、支部で開催されていた「高校生セミナー」今でいう「まなびば」でした。そこには明るく元気な先輩がいて、行事の間、たくさん声をかけてもらい楽しませてもらいました。次に教区学生会の行事に行くと、更に元気でパワフルな人たちがいっぱいいました。その人たちに引っ張ってもらって、こどもおぢばがえりのひのきしんやおせちひのきしん、そして春学へと参加するようになったのを覚えています。
 とにかくいろんな人に声をかけてもらったのですが、みんなに楽しんでもら
おうと心を配り声をかけていた先輩たちの姿は、本当に素晴らしいことだと感じています。
 当時は、底なしに明るい人たちの集まりと思っていましたが、今思い返すとそうじゃない。私にかけられた一言々々には、きっと一人ひとりの努力と勇気が振り絞られていたん だと思います。
 今、春学に向けてスタッフのみなさんは、大変な中を通っていると思います。「ひとことはなしはひのきしん」参加してくれた人に喜んでもらおうと勇気を出してかけ る一言、声をかけられた人がそれに応えようと勇気を出して発する一言、声をかける人、かけられる人お互いが振り絞って出す勇気によって、今までと形は違えど、きっと素晴らしい春学となり、参加してくれた人の心に何かが生まれる。それはその人にとって生涯残る大切なものだと思います。
                 2021/3/1   K.Y

 去年コロナが出始めたときに、感染拡大防止のため、自粛期間というものがありました。この時に普段家にいない人が居るものだから、夫婦、親子など家族の中で気持ちの変化で問題となって現れて不仲になるという話を聞いた。逆に夫婦や親子、家族が顔を合わせる機会が増えて、より仲良くなったとも聞きます。
 私自身は、嫁さんとの関係は、変わらず普通だったんですが、親との関係は、少しギクシャクというか、ストレスを感じることがありました。普段なら家にいないときに居てるもので、ごはんも毎食顔を合わせるし、一緒の空間にいるのがあきらかに多くなり、だんだんと日が経つにつれて、見えてないところが見えてきたり、自分にとって相手の嫌な所がわかり、だんだんと腹が立って鬱陶しい気持ちが湧いてきました。今思えば、親のほうもストレスがたまって、腹立っていたと思います。そんな時、『みちのとも』に内統領宮森先生の話が載っていました。
 「例えばマスクをつけるという行為。これは自分が感染するのが恐いからつけるのか、人に感染させたくないからつけるのか。感染させたくないというのは、言い換えれば人を慮る、いたわる気持ちの表れで、その気持ちが深まれば、人をたすけたいという心につながっていくと思います。逆に感染するのが恐い、自分を守りたいとなると人の行動が気になります。あの人があんなことをしているというような指摘や批判につながると思うのです。コロナの大ふしにおける一番のキーワードは「優しさ」だと思います。人に対する優しさや思いやり、そういう心を深めていくことが、今もっとも大切だと考えています。」
 コロナを通して優しい心をつかうようにと教えられた様な気がします。それからはなるべく腹を立てないように過ごしています。
             2021/2/21  Y.K

 私事の話ですが、昨年10月に結婚10周年を迎えました。その間3人の子供を与えて頂き、実感としてはあっという間だったなぁと感じています。
数年前、青年会本部が「親孝行、夫婦仲良く陽気ぐらし」というフレーズを発表されましたが、最近本当にそうだなと実感しています。
 昨今はコロナ禍で夫婦の仲がぎくしゃくしているという話も耳にします。コロナ離婚という言葉も聞きます。
 しかし、夫婦は支え合っていかないといけないし、それでこそ陽気ぐらしに迎えるんじゃないかなと思います(うちの場合は妻に頼りっぱなしですが)。
 これは自分がそう思うだけかもしれませんが、夫婦仲が良くないと子供にも悪影響を及ぼして家庭もドンドン陽気ぐらしから離れていくような気がします。
 うちではもうだいぶ前から寝る前に夫婦でお願いづとめをつとめています。夫婦心をそろえての時間を持つことが夫婦仲良くの秘訣かもしれません。
 これから10年先も20年先もそんな風に通れたらなとささやかながら思います。
                               2021/2/8     K.I

 1月26日、春季大祭に昇殿参拝させて頂きました。
 コロナ禍であり、三蜜を避けて昨年は教会長さん方の昇殿参拝があり、今年は、各教会から代表者1名の昇殿参拝が許され、私は行かせて頂く事ができました。
 明治20年1月26日、命捨ててもという強い心定めを持っておつとめをつとめられたこの日、現在は、命捨ててもという思いまでしなくてもつとめさせて頂けるので、本当にありがたいことだと改めて実感致しました。
 コロナ禍で、名簿を提出し、神殿の畳1畳に一人座ることが許され、マスク着用で参拝させて頂くという、なんとも異様な光景ではありました。以前なら、中庭からか、又は礼拝場の中も人がいっぱいで人と人との間の小さなスペースに座らせて頂いたりの参拝でしたので、私にとってはありがたい嬉しい参拝でもありました。
 神殿講話で、表統領の中田善亮先生は、これからの私たちの歩むべき道をお示し下さいました。それは、お互いに励ましあって、力を合わせ明るく乗り越えること。過去をふりかえり反省し、改める絶好の機会をお与え下さった今、くせ性分を取って仕切り直すこと。また、よふぼくの自覚を持つ時間を増やすこと、一人ひとりがちょっとした気遣い、心遣いをすることで信仰の喜びを味わえることも仰いました。
 そういった心で日々を通らせて頂き、おたすけ心で、手を差しのべて欲しい人に気づき、手を差しのべれる人になりたいと思います。

                        2021/2/1    M.T

  数年前、私は何をしても気持ちが沈み、毎日が全く面白くなく、見るものに不足をするような気持ちが続いていました。
 そのような毎日を過ごしていましたので家族や友人達とも関係が上手くいかず、よく喧嘩や言い合いにもなりさらに心が荒んでいき、なんでこんな悪い事ばかりつづくんだともがき苦しんでいました。
 その時にある先生に相談をするとその先生は、「君の今の心は自分自身に囚われすぎているんだ。自分に囚われていると喜びや感謝の気持ちが無くなってしまう。自分の事は一旦放っておいて、周りを見ていかに自分がありがたい中に生きているかを考えてごらん」と教えて下さいました。私はそれを聞いてもそんなに自分には喜びや感謝を忘れている生き方をしているのだろうかと疑心暗鬼でしたが、その先生は具体的に実践できる感謝ノートを毎日やりなさいと仰いました。
 感謝ノートとは毎日夜寝る前の5分に今日一日に起きた喜べる出来事を思い返し書き出していくものです。こんな事で喜びが増えるのかと半信半疑でやってみるとこれが驚きでありました。5分も時間があるのに私が喜べる出来事が10個も出てこなかったのです。いかに私が感謝と喜びを忘れて毎日を過ごしているのかを痛感しました。感謝ノートを続けていくと、不思議と毎日の中に喜びを見つける事が上手になってきました。
 今まで喜べなかった事が見方を変えたら喜べるようになり、1日の出来事も10から20に増え、現在では50、60個ほど出てくるようになりました。すると本当に驚きなのですが、それまで不足の毎日であったのが喜びを見つける毎日に変わり、ありがたいなぁと感じるようになったのであります。
 心通りの御守護、まさにその通りであると身をもって体感した次第であります。色々な日がありますが、365日悪い日はないと神様はお教えくださっています。悪い日があると言うことは自分の心が悪い日なのでしょう。毎日を感謝と喜びの気持ちで過ごしていきたいですね。
          20201/1/22  T.A

 4年程前から上級教会のお泊り会に誘っている小学生の女の子がいます。彼女には中学三年の兄と小学一年の弟がいます。弟とは早くから面識があり発達障害があるとのことでしたが2年程前からお泊り会にお誘いし毎回楽しく参加してくれています。
 お兄ちゃんとは最近話すようになったのですが人とのコミュニケーションに障害があり知能は普通にあるのに特別支援学校に進学予定ということです。彼と話していると自分を見ているようで、世の中を批判的にしか見られないようで私をなかなか受け入れてくれません。
 しかし私は因縁をすごく感じておりどうしても助かってもらいたく、定期的に足を運ばせて頂いてます。そういった中からおばあちゃんが別席を運んでくださいました。この一家が陽気ぐらしを目指し歩んでくださることを願い、勇んでつとめさせて頂きたいと思います。
      2021/1/15   M.N

新しい年の始まりと共に、冬らしい寒さが続いております。
昨年一年の様々な出来事を振り返ってみると、今年に繋げていけるようにしていかなければいけないと考える日々が続いております。
昨年は、これが御守護を頂いているんだなと思う事があり、教会におきましても会長をはじめ用木信者一同が何事もなく元気に過ごさせて頂けました。
体は親神様からの「かしもの、かりもの」とよく聞かされておりますが、現在の日常の中において、そのありがたさというものを改めて実感しております。
行事におきましては、教会活動など様々な面での制約が余儀なくされ、私だけでなく多くの方たちが、ご不便をされたのではないかと思います。
ですが、この不便さにおきましても急がばまわれという言葉もあるように、一度足を止めて、もう一度身の回りや自分自身を見つめ直し、それぞれの立場で人助けの取り組みを考える時間を与えて下さったのだと思えるようになりました。
本年はその事を踏まえてしっかりと活動として活かしていける年にしたいものと思います。
          2021/1/8          M.M

  先日父の5年祭に参拝させて頂きました。父は生前「思い千万ありても理一つ無くんば成り立とうまい。」とよく聞かせてくれました。理がなければ例え進む道が分かっていても進めません。無理に進んだとしても直ぐに倒れてしまいます。RPGで、次の街に進む前にコツコツと城のまわりを歩いて今の自分が戦える敵と何度も何度も戦ってレベルを上げてから次の街へ赴くのと同じだと思いました。もし今自分に理がなければコツコツと今できる事を日々に理作りに励むだけ。そうすればいつしか理ができて次のステップへすすめるのです。
私は学生の頃やりたい事もいろいろあったけどどうせ出来ないと思って直ぐに諦めてきました。でも、まず目の前の事をコツコツとやって少しずつそれが出来るだけのレベル(理)をあげてチャレンジすれば良かったと後悔してます(^_^;)
これからはそんな後悔しなくて良いようにしっかりコツコツとスライムを倒してレベルアップを図りたいと思います!!
                            2021/1/1    T.H

 今年も残すところあと僅かとなりました。
 顧みると新しい生活様式を余儀なくされ、不自由な思いもしましたが、今まで見えなかった事に気付けたり、色んな場面で、当たり前の事なんで一つもないと思い知らされた一年でした。
 例えば香港の様子を見ては、「水や空気の様にあるのが当たり前と思っていた発言の自由が突如奪われた」との現地の声に、動揺し恐怖さえ感じました。
 また、水や空気だってどうなるかわかりません。飽食の現代の裏側では、食肉を生産する為に広大な森林が伐採され、その家畜の餌となる飼料を作るのに、世界の淡水の4分の1もの水が使われているそうです。単純にハンバーガー1個に2400リットルの水を使用している計算になるとか。世界の人口増加も相まって、近い将来深刻な水不足の時代が来るとの見解もあります。
 こんな現状にフォーカスすると、未来が不安になってきますが、その未来は誰でもなく私たちの心遣いが現れてくる世界だとお聞かせいただきます。 
 来たる年も後々の者を苦しませる様な生き方を省みて、教えを手掛かりに魅力ある生き方を志していきたいと思います。
 それでは皆さま良いお年をお迎えください^ ^
                                2020/12/22    M.S

失敗は成功のもと?」
 

  日常の中で、様々な失敗をする度に、「これも経験だから」と慰めるように自分に言い聞かせて、「次は頑張ろう」と心に思います。また、人からも「失敗が、何より大事な経験になるよ」と言ってもらったりします。(若いうちは特に)
しかし、それで納得できていたわけではなく、どこかあきらめたようにも感じていました。
それこそ、たくさん経験を積んでいったら、実感としてわかるのかもしれませんが。
 何をするにしても、成功することが目的なのだとしたら、正直、失敗なんて避けられるのなら避けるべきだと思います。
誰も、失敗なんてしたくありません。
 ですが、失敗は、やろうと思ってできません。想定外のものだからです。
失敗をしようと思ってしたのなら、それは失敗ではなく計画通り。つまり計画の「成功」です。「成功」するためにたくさん考え、準備し、願い、それでも起こってしまうのが「失敗」です。
 予想される「失敗」は、ただのミスですが、予想外のことなら、貴重な経験となります。
この「失敗」なくしては成長もありません。試行錯誤することもありません。
科学技術の研究などは、この予想外の結果を突き詰めて、新しい発見に到達するのです。
 全力で取り組んだ結果だから、「失敗」から学ぶことができるのだと思います。
 思えば、昔の様々な失敗の経験が、今の自分をつくってくれただけでなく、たくさんの面白い話のタネになってくれてもいます。
                    2020/12/15 K.M

「出した分は必ず返ってくる」
先日車を運転している時、ある一台の車に道を譲ってあげたことがあります。すると、その後で、別の車に、今度は私が道を譲って頂きました。
あぁ!ありがたいなぁ。親切な人っているもんだな!とすごく嬉しい気持ちになりました。
このように、日常のささいな事柄でも分かるように、神様は出した分、必ず返してくださいます。
面白いほどに、この世の中はシンプルです!
そして、忘れてはいけないのが、出さないと入ってこないということです。
出入り口という言葉はあっても、入り出口という言葉がないように、″出すのが先“なんです。
 こちらから、人に与えた分だけ、いろんな形で自分に返ってきます⭐︎
まず自分から人に喜ばれる行いをして出すことが大事です!
そうすることによって自分の人生がどんどん豊かになります。
騙されたと思って、是非一度自分から出すことを意識してやってみてください⭐︎驚くほど、日々返ってきているということにも気付けるようになりますよ♪
そして、最後に、良い事だけではなく、悪いことも出したら入ってくる。ということを忘れないでおきましょう!笑
                          2020/12/8    N.T

「何でパパはスマホをよく見てたりするのに目が悪くならんの?」
  これは目が悪くなってきてる娘から言われた言葉でした。
  そこで私は、「〇〇は、もし国語のテストがずっと悪かって、国語悪いね、もう少しこうだったら良かったのに、だからあのときこうしてたら良かったのにとか言われたらどう?気分いい?身体も一緒なんだよね」と返します。すると娘はピンときたようで、「そうか、私の目にすごいね、頑張ってるね、いつもありがとうって言えばいいんだ」と言い、すぐに娘は手を目に当て、ゴニョゴニョとお礼を言い褒め始めました。するとです。その場でボヤケていた文字のボヤケがなくなり、「あっよく見える」とのこと。即効の神さまからの働きでした。そして夕づとめで改めてお礼を言い、つとめ終えたときには、もっと見えるとのこと。
  神さまの不思議なお働きでした。娘は「こんなんやったら病院いらんやん」と。
  そうなんですよね。
  常に感謝、お礼、労りができていたら病院はいらないのかもしれません。
  今日も使わせていただいている身体に感謝。
  不足に目を向けるのではなく、有るところに感謝する。
  そこに不足を埋めてくださるご守護がいただけると信じます。
  たんのうはすべてをマルにしていく魔法の心遣いです。
                     2020/12/1    M.S


未信仰のママ友(Aさん)から相談を受けたときのこと。
職場の人間関係で悩んでいると言うことで、一通り話を聞き、二人きりの職場なのに会話どころか挨拶もできなくなって自分のことも嫌いになりそうで辛いと言うことでした。
私はAさんに助かってもらうにはまずAさんの心の向きを変えることかなと思い、思いきって伝えてみるとAさんは「分かった。明日からやってみる」と言ってくれてその日は別れました。
翌日、早速LINEが届き“昨日の話を聞いて私変われたように思う。今日はちゃんと挨拶できた。いつもなら、快くできない仕事もできた。気持ち良かった。明日もやってみる!”というとても嬉しさ伝わる内容で、私は単純に嬉しい気持ちとAさんの素直さ、またそれによって現れてくる鮮やかな変化に改めて信仰の素晴らしさを感じました。
“人間というものは身はかりもの、心ひとつが我がのもの。たったひとつの心より、どんな理も日にち出る。どんな理も受けとるなかに、自由自在という理を聞き分け(おさしず明治22.2.14)”
私自信、聞かせていただきながらAさんのように素直に実行できているのか反省し、日にち通らせて頂きたいと思います。
                                    2020/11/22    S.U


    良し悪し
今日は良い天気だ。
今日は悪い天気だ。 
みなさんはどんな天気を想像しますか?
おそらくほとんどの人は、晴れ=良い天気、雨=悪い天気、と思ったのではないでしょうか。
果たして、本当にそうでしょうか??
たしかに、お出かけする時に雨だと濡れるし、傘などの雨具も必要だし、行くところも限られてきますよね。
人の都合にとっては、雨がもたらすネガティブなイメージって多いですけど、、逆に私たちの栄養となってくれる畑の野菜や、心を癒してくれる花などの植物にとっては雨が無ければ大きくなれないですよね。
これって、天気だけに限らないですよね。
私たちは、自分でも気づかぬ間に自分達の都合に合わせて物事や起こってきた事柄に良し悪しをつけているのではないでしょうか??
良いか悪いかを決めているのは、他でもない自分自身の心なんですね。
自分に都合が悪い事でも、ちょっと立ち止まって見方を変えてみると、良い事に変わるかもしれませんね。

                    2020/11/15   S.S

みなさんは『時間のお供え』って知っていますか?
毎日、神様に食べ物やお水などをお供えし、そのお下がりを頂戴しますね。同じように、神様に自分の時間をお供えをする事を“時間のお供え”と言います。
学生の皆さんは、学業はもちろんのこと、バイトだったり友達や恋人との約束だったり、自分の時間を大切にしたいと思います。
そんな中、自分の都合は少し横に置いておいて、大教会や教会の月次祭参拝、またひのきしんなどの御用や学生会活動の取り組みに参加することが時間のお供えになります。
そして、そのお供えした時間は、神様がしっかりとお受け取り下さるのだと聞かせて頂いたたことがあります。
「もう少しで危ないところだった」「今日はなんだかいろんなタイミングがいいな」…そういった経験は誰しもあると思います。
それは自分がお供えした時間を神様が絶妙なタイミングでお下がりとして、お与え下さっているのです。
何かと忙しい毎日だと思いますが、1日は24時間という限られた時間。ほんの少しからでも神様と繋がる時間を作ってみませんか?

                        2020/11/8   S.S

私は現在、おぢばで生活をさせて頂いております。
少し息抜きに!と思い、先日、3人の友人と久々に再会し、カフェで女子会をしました。その友人というのは、学生会で知り合った仲間で、皆んな九州で学生会をしておりました。私は実家のある、熊本教区で活動させてもらっており、3人の友人とは県は違いましたが、九州ブロック学生会として、一緒に活動をしていました。
美味しいランチとデザートを食べながら、口を開けば当時の学生会の話ばかりで、とっても盛り上がりました!
あの時の行事で、こんな事があったよね〜
この前神殿で○○さんに会ったよ!
九ブロ例会で、よく福岡教務支庁に集まったね〜
おしゃべりに夢中で、あっという間に時間が過ぎてしまいました。
今思うと、学生会活動を頑張れたのは、素敵な仲間がいたからこそだと実感します!大変な時期もありましたが、それ以上に楽しいことも沢山あって、それらを共有できる仲間がそばにいてくれたから、夢中になって、頑張れたのだと思います!
学生を卒業した後、今でも代を重ねて、活動を続けてくださっている学生さんたちを見かけると、本当にありがたいなぁと思います!
お道につながるきっかけになる学生会。学生会で仲間がたすかる。こんなに素晴らしい場所を守ってきてくださって、代々の学生会の皆さん、本当にありがとうございます!!
            2020/11/1     H.N

先日、私の教会では、秋の大祭を勤めさせて頂きました。
新型コロナウイルスの影響で、なかなか人が集まることが出来なかった為、月次祭も私の家族と近くに住んでおられる信者だけと、なかなかおつとめの手を揃えることが難しい日々が続いていました。
そんな中、先日つとめさせて頂いた、大祭では、おてふりも鳴り物も全部揃えて勤めさせて頂くことができました。久しぶりに全部揃ったおつとめを勤めることができて、純粋にとても嬉しいな、と感じました。
日本に限らず、世界では、まだ新型コロナウイルスが猛威を振るっています。
中々、人に会えなかったり、外出するのを躊躇ったり、以前のように生活出来ないことにストレスを感じることがまだまだたくさんあると思います。当たり前だと思っていたことがなかなかできなくなって、初めて気付くこともたくさんあると思います。私も、月次祭の日が来れば、信者さん方が教会に来ておつとめを勤めることが当たり前だと思っていたように思います。
当たり前だと思っていたことでも、親神様から頂いていているたくさんのご守護があり、毎日たくさんのことに感謝できるのだなとコロナ禍を通じて改めて感じさせて頂きました。そして、私は日々のどんな些細なことでも、感謝して通れるような人になりたいと思いました。
     2020/10/22  K.N


   「ごめんね」と「ありがとう」
 私は今保育士として働いています。自教会の信者さんに保育士の方がいて、どれだけ素直に「ごめんね」「ありがとう」が言えるかが、私たち大人にとっても、子どもにとっても大切だよねという話をよくしています。
   私の両親は、里親をしています。そして、我が家には今、三人の里子がいます。みんな「ありがとう」は比較的言えるのですが、「ごめんね」がなかなか言えません。その一言で解決することが、自分の気持ちを曲げられず「ごめんね」が言えないことで、問題が大きくなってしまうことが多々あります。その都度、両親や私が理解してくれるよう話をしています。「ごめんね」と言われれば、良くないこととわかってくれたんだなと思い、「ありがとう」と言われれば、嬉しい気持ちになり、またしてあげようという気持ちになると思います。なので、私自身もお手本となれるよう、「ごめんね」「ありがとう」をしっかりと言葉にし、里子たちとともに成長していきたいなと思っています。
  2020/10/15    M.T

 
   朝夕涼しくなってきましたが、皆さん体調を崩してないですか?
今日を元気に過ごせることは本当にありがたいことですよね。
 わたしは今年の春頃、環境の変化から短期間で急激に体重が減って体調を崩してしまいました。自分では、少し休めば元に戻るだろうと思っていたのですが、思いに反して状態はどんどん悪化していきました。
この春から新たな環境へ飛び込んで、更なる成長を!と思っていた事もあり、予想もしていなかった、今まで経験したことのない精神的にも体力的にも不安定な日々は辛いものでした。
 『この体は神様からのかりもの、心ひとつが我がのもの』と聞かせて頂き育ってきたものの、この時ほど自分の力で出来ることは何も無く、親神様の大きな御守護の中で生かされているんだなと実感したことはありません。
 また元々周りの方に頭を下げて、休ませて欲しいと伝えることが苦手なわたしなので、そんな私の心を見ておやさまは、心を変えるチャンスを与えて下さったのだと思います。
 この節を通して、大勢の方に支えられ、温かい大きな思いをかけてもらっていたんだなと改めて感じ、家族や友だち、お道の仲間の存在に心から感謝し、同時に自分は周りの方に対してその様な心を遣えていたかな?と反省させて頂くことができました。そして次は私が困っている方や悩んでいる方に寄り添えるようになりたいと思っています。
 今日も元気な体で動ける事を喜んで、自分の出来ることから感謝して、口に出して過ごしていけたら、助け合いの輪が広がっていき、陽気暮らしに少しずつ近づいていくのかなとわくわくしています!
            2020/10/8  A.H

今すごく幸せな理由
 今から7年前、髙安学生会の副委員長のご用を2年間つとめました。当時の委員長ともう一人の副委員長とは月に何度も顔を合わせては夜中まで学生会の未来について熱く語り合っていました。6年前のある日突然身上と事情が重なり、精神的に病んでしまいました。布団から出るに出られず、人と会うのも怖く身動きすら取れない状態。一番辛かったのは大好きだった学生会に参加できなくなる事でした。
 誰とも喋れなかった私、このままどこかへ消えてしまいたかった私に対して、一番最初に駆けつけてくれたのが当時の委員長と副委員長でした。私は喋れずに何時間も黙りっぱなし、夜も過ぎ明け方まで黙って隣にいてくれました。委員長が「今は何も心配する事ない。君が帰ってくるまで待ってるからな、今はゆっくり休みや」力強く優しい言葉を掛けて部屋を出て行きました。その言葉で私は救われた気がした。勝手に涙が溢れ出し何時間も止まらなかった。前を向いて進もう、大切な仲間の為にと思える様になり、私はその後大学を休学、修養科へ行き身上もみるみる回復、再び大学へ戻り、学生会に戻ったらみんなが笑顔で迎え入れてくれた。「神様はちょうど良い様にしてくださる」この事は教理として分かっているつもり。実際に事情や身上に直面すると全然いい様になっていないじゃないかと感じます。でも今は6年前の見上事情があったから本当に良かったとそう思います。委員長の言葉がなかったら私は今どうなっていたのか怖くて想像もできないでしょう。学生会があったから、お道のご用を必死でやっていたから、救ってくれた仲間がいたから、今すごく幸せに毎日通らせてもらえています。
       2020/10/1 S.N

先日、うちの高校一年の男の子が交通事故に遭いました。入学以降ずっとリモートでの授業で、やっと夏休み明けから学校に行けるようになり喜んでいた矢先でした。部活帰りの夕暮れ時で、交差点を渡っていて右折してきた車2台に立て続けに当てられたそうです。幸い怪我は足を擦りむいただけの軽傷で済ませていただきましたが、入学のお祝いにおじいちゃんに買ってもらった高価な自転車の前輪はぐにゃりと曲がってしまいました。彼はその自転車に乗って30分ほどの道のりを自力で帰ってきました。彼の怪我と自転車を見てすぐに私は「あぁ神様が守って下さった」と思いました。大難を小難にお連れ通りいただいたことを感じました。彼は幼い頃から教会に育ち、おつとめやひのきしんまた少年会行事やおぢばがえりなど参加してきてお道の教えに沢山触れてきました。今回の事故で自分に起こった事を神様からのメッセージとしてどう受けとるのか、どう繋げていくのかしっかり向き合うことが大事だと思います。人生は、何が起こるか分かりません。思わぬ事故に遭ったり病気になったり、また好ましからぬ出来事が起こってきたり・・・。そんな時に神様のご守護を感じて喜べる心が大切です。そうして通っていると、ここぞという時には神様は大難を小難に小難を無難にお連れ通り下さいます。
 髙安学生会の年間目標は「髙安の繋がりを広げよう!」です。髙安の繋がりを広げつつ、親神様にもしっかりと繋がっていくことが、喜び一杯の毎日に繋がっていくのではないでしょうか。
         2020/9/22  M.O

鬼滅の刃って観ました?
小学生の息子が「鬼滅の刃」を夢中に観ていました。何が面白いのだろうと後でこっそり何話か観てみると、なるほどこれは面白いかもしれないと思いました。
 まず、第一話で、主人公の炭治郎はいきなり家族を失います。鬼に殺されてしうのです。非常に悲しい始まりで、小学生がこんな悲しいものを観ているのかとビックリしました。
 その後のストーリーは、鬼になって生き残った妹・禰豆子(ねづこ)を人間に戻すために鬼と戦い続けていくというものです。
 主人公はずっと「家族が鬼に殺され亡くなった」という悲しい過去を背負っています。そして将来、鬼に勝ったとしても、現状維持にしかならないという現実があります。
 ストーリーに流れているテーマは「失ったものは取り戻すことはできないが、その中をどう生きるのか」だと思いました。主人公が訓練して戦っていく、けなげに生きる姿を見守っているような気持ちにさせられます。「しっかり生きよう」と決意させてくれるような物語かもしれません。
 さて、私たちの周りにも「取り戻すことができないもの」があるかもしれません。また、現在はコロナ禍にあり、これまでの日常は失われました。でもきっとこの先、以前のような人々が触れ合える生活が取り戻されるときが来ると思います。
 今、その中をどう生きるか。私たちには世界一勇気を与えてくださる天理教の教えがあります。教祖のひながたがあります。どんな暗闇の中でもどう生きるかをきっと照らしてくださることでしょう。 
            2020/9/15     Y・M

 先日、家に帰りふと部屋を見渡すと、タンスの位置が変わっていた。どんな力持ちが移動させたかというと、私の妻である。
私は正直驚き、そんな力がどこにあるのだと思った。気になったので、どうやってこのタンスを動かしたのか尋ねると、得意げに、重たいタンスの下に紙を1枚敷いてそれを引っ張ったら簡単に動くとのことだった。本当か? と疑いながら、試しにやってみた。まず、聞いたとおり、その動かしたい大きな重たいタンスの下に1枚の紙を敷いて引っ張ると、上にのったタンスも一緒にスーッと動いた。こんなに簡単に動くのかとビックリした。
私は衝撃を受けたと同時に、あることを思った。それは、人様に心を変えていただくには、そうやって自分の行いや心遣いを低く低くすることを普段から心がけることが大切だということだった。  
まだまだ続く新型コロナウイルスの感染拡大で引き起こされる複雑な状況の中、こんな時こそ必要なことは、普段の何げない暮らしの中で、優しい心、丸い心、親切な心こそが、何より大切なことであると思う。それが教祖のひながたに近づく歩みであると思う。
時が経ったときに、コロナ禍がきっかけでよいこともあったと思えるように、日々を過ごしていきたいものである。
             2020/09/08 M

陽気ぐらしをするために親神様が、私たち人間をお造り下さいました。どうすれば「陽気ぐらし」ができるのか?それは、教祖(おやさま)のひながたという姿で教えて頂いております。
私たちは毎日、色んな事をお見せ頂きますが常に共通して教えて頂いていることは「よろこぶ」という事ではないかと思います。どんな姿や、どんな事を見せて頂いても全てを受け入れ喜ぶ心が大切です。
この心を、お道では「たんのう」と教えて頂いています。「たんのう」とは、満足した心と教えて頂きます。日々に、喜びいっぱい満足の心をもって陽気ぐらしという山を登っていくことが大切です。学生会活動を通して、少しでも教祖のお心に近づく努力をする事が何よりも大切で、親神様に喜んで頂ける姿です。       

                 2020/9/1  Y.F
2020/10/2